イエス様が人間に与えてくれた“新しいもの”それは『愛=恵み』。
友人のために与える愛、それは我慢する心。 自分の事ばかりを考えて我を張っていたら友達同士の間でも争いが起こりますものね。 愛は“許すこと”でもあるのだけれど、“許す”というのは、どちらか一方が許されるのではなく、両方が許されることなんですね。 許す側も、許される側も、神によって許されて平和になる。争いが起こった場合、片方だけが傷つくのではなく、両方ともが傷ついているのですよね。片方だけが許されても、そこに憎しみが残っていれば、いつか再び争いが起こります。 そうならないために、そうさせないために、神が双方を“許す”という『愛=恵み』を与えてくれます。 イエス様の弟子達も復活の日に、イエス様が優しい声で『許します』と言われて、イエス様によって“許された”という『愛=恵み』の喜びに心が満たされて、弟子達は、その喜びを伝えるため、それぞれが各地へと散らばって行きました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.10.16 23:00:17
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