人として当然の未来(生きる事)を閉ざされ、それでも人の情けにすがり、家族のために懸命に生き、やがて訪れる悲しい終焉。
しかし、その中にも、ささやかな幸せは与えられるのだ。 人の情けによって与えられた、ほんの僅かな幸せなのだ。 しかし、その人は、『自分達のような人間にはもったいない事だ。』と泣きながら詫びる。 そして、人の情けに感謝して絶望の中で生きていた。 文字に表す事のできないような悲しいな人生だったのだ。 私は、いつも、その場、その場に立ち会っていた。 いつも悲しい人生の立会人のようになっていた。 今、思い出しても悲しく、やりきれない。 しかし、その人達こそが本当の愛というものを教えてくれていたように思います。 統一教会を始めとする怪しい教団などは見向きもしないような悲しみと苦しみの中で生きていた人々。 その人達にも救いはあった。 その人達は誰よりも神に愛されていた人達だったと思うからです。 聖書を読んでいる中で思った事です。 唯それだけの事です。 しかし、それは、人それぞれに受け止め方は違うもの。 そして、その人達の私への気遣いが私を助けてくれました。 その人達の最後の言葉が数十年の時を越え現実のものとなっていたのです。 聖書の中の話のような出来事が私の子供時代にありました。 私の子供時代は、こうでなければいけなかった。と、今、そう思えます。 が、 もう一度、同じ人生を生きますか?と聞かれたら即座に拒否いたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.05.07 01:19:02
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