以前、ブログのどこかで書いたかもしれないけれど、、、、
16~7年前、岡山の高山牧師さんと出会いがあって、 たまに高山牧師さんの教会へ遊びに言っておりました。 でもね・・・・私の家から高山牧師さんの教会は遠いのですよね。。。。 だから高山牧師さんに私の家から近い教会を紹介してもらいました。 正確には高山牧師さんの奥さんの紹介なのですが。 その当時、呉市内に住んでいたT・K牧師さん。 私に分かるように聖書の話を説明してくれました。 毎日、聖書を読んで、、、と言っても、 一日、一章ではなく、一日の空き時間の全てを聖書を読む時間にあてていました。 で、日曜日が来たら礼拝の後、T・K牧師さんに聖書の分からない箇所を質問して教えてもらっていました。 でもね。。。。。 T・K牧師さんの教会では揉め事が勃発していたらしいのです。 詳しい話は知りません。 牧師さんと信徒さんが、チャンチャンバラバラ、やっていたらしいのです。 後から話を聞いて、、、私は、、、 問題解決に向けて努力する責任は信徒さんの側にもあるやろ! 責任は全て牧師さんに丸投げかい! という感想を持ちました。 T・K牧師さんが去った後の教会は、、、 私が統一協会に居たときに感じていた雰囲気と大変よく似たものとなっていました。 T・K牧師さんが去った教会の信徒さんは、 ・あの人は怪しい教団に染まっていた異端の人。 ・あの人は怪しい教団に入っていた前科者だからね。 ・異端にいた人とは関わらないようにした方がいい。 という態度言動が露骨に見え見えになりました。 T・K牧師さんが教会に居たときは、おくびにも出さなかったけれど、、、 T・K牧師さんが教会を去った途端、間違いに気づいて怪しい教団を脱会した者を『異端者の前科者』と白い目で見る様になりました。 これは他のキリスト教会も同じでした。 私が『以前、統一協会に入っていましたが今は脱会しています。現在は自分探しの旅をしてます。』という自己紹介をすると、、、、 それまでの態度とは一変するのです。 《アナタは異端者なのですね。》という態度で接してきました。 で、私は思いました。 私の近くのクリスチャンで【放蕩息子の例え】を理解していたのはT・K牧師さんだけであったことを。 口ではいくら『私はイエスさまを信じているクリスチャンで博愛主義者です。』と言っても、一皮むいたら怪しい教団の信者と大して変わらないじゃないか! クリスチャンなんか辞めじゃい‼ と思ったから、もとの無神論者の位置に立ち帰りました。 でもね。 クリスチャンは辞めても、イエスさまが好きなのは変わりませんからブログのカテゴリに《イエスさまファンクラブ》を作りました。 それと、 無神論者の位置に立ち返ったことで何の柵もなく宗教について考えられるようになりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.12.11 11:13:05
コメント(0) | コメントを書く
[[宗教文学]私が現実世界に戻るための減圧室] カテゴリの最新記事
|
|