今、高橋昌一郎さんの「愛の論理学」という本を読んでいます。
![]() 完全無神論者ですが宗教についての知識も持っていらっしゃいます。 私は『愛』について今一よくわかりません。 親父の愛は分かります。 だけど母の愛というモノが全く分かりません。 っていうか、お母んの愛というモノが全く理解できません。 お母んの愛というのは統一協会に教え込まれた霊界を中心とした捻じ曲がった死者を尊び生者を疎んずる異常な愛でした。 お母んが溺愛していたのは自分にソックリなとんでもない出来損ないのボケナスの兄貴でした。多分、自分のとんでもない出来損ないの遺伝子を濃く受け継いで生まれてきたから可愛くて仕方がないのだろうけど。 赤ん坊の頃は雪の降る寒い日でも、オシメと肌着、一枚だけで座布団の上に転がされて、親父が家に帰ってくるまで飯(ミルク)なしでした。 赤ん坊の頃は親父が出社する前にミルクを飲ませてくれて、帰宅したときにミルクを飲ませてくれて、、、私のミルクの時間は、それだけでした。 私の赤ん坊時代は、戦後、庶民の暮らしも上向きかけた時期で、戦時中のように瘦せこけた赤ん坊を見かけなくなった頃でした。 それなのに私はがりがりに痩せこけた赤ん坊だったそうです。 お母んが私にミルクを飲ませなかった理由:餓死は自然死だから。 私は父方の祖父に激似でしたから、お母んは自分の遺伝子を受け継いでない私が疎ましくて殺したかったらしいです。 私を殺害したら親父が警察を呼んでお母んを務所にぶち込みますから。 お母んは務所にぶち込まれるのが嫌だから私を餓死させようとたくらんでいたのでした。 ミルクを飲ませずに餓死させたなら自然死で通ると考えていました。 ど頭がすこぶる悪い癖に悪知恵だけは人並外れてよく回る奴でしたから。 お母んという奴はね。 近所の人も赤ん坊の私が何で痩せてるのか❓を母に聞いたらしい事を私が小2の頃に一緒に遊んでいた近所のお婆さん達から聞いたことがありました。 お母んの言い分では『なんぼミルクを飲まそうとしても、この子(赤ん坊の私)が嫌がって飲まへんねんから、しょうがないやろ。』という事でした。 それと近所の人たちの話では、、、 私は親父の浮気の犠牲者だそうです。 けれど近所の人たちは、 『お父ちゃんを怨んだらあかんねんで。あんなお母ちゃんやったら、お父ちゃんが他の女の人に走ってもしょうがない。と小母ちゃん等も思うてるさかいなぁ。』 だから私は物心つく前からお母んに、毎日、気が遠くなるほどシバキ上げられて、、、 幼稚園に上がった頃には家の事をやらされて、お母んととんでもない出来損ないの兄に、勉強することを全面禁止にされて、奴隷のようにこき使われていました。 グリム童話の『シンデレラ』のように。 だから私はシンデレラが好きでした。 お母んは、何故、親父を嫌ったのか❓ 多分、親父がお母んと、とんでもない出来損ないの兄に分かち合う『愛』を教えようとしたからかも。。。 お母んと、とんでもない出来損ないの兄にも『愛』はあったと思います。 自己中心的な自分しか愛さない『自己愛』が。 お母んと、とんでもない出来損ないの兄の自己中心的で自分しか愛さない『自己愛』は死ぬまで変わる事はなかったみたいです。 とことん自分勝手に私と家の旦那を振り回し続けてくれましたから。 それでも旦那の父が出来る限りの防御網を巡らせてくれていたので助かりました。 これも『愛』ですね。 見返りを求めない無償の『愛』。 「愛の論理学」を読みながら悶々 "(-""-)" としていたけれど。。。 読み終えたら赤飯を炊くことを目指して頑張ります❗ お母んが死んだと兄から電話がかかった時、 『念願の解放の記念に赤飯を炊こ❗\( 'ω')/』 と思いながら旦那の母に、 『葬式には出んさいよ。』 と言われて炊けなかった赤飯。 南の島の警察署から、とんでもない出来損ないの兄が死んだかもしれない連絡を貰った時に、 『ヤッホー!! 今度こそ赤飯を炊くぞー❗』 と思ったけど旦那に反対されて炊けなかった赤飯。 今度こそ炊くんだ。 「愛の論理学」を読み終えたら。 赤飯を! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.11.17 19:03:00
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