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2018年10月15日
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カテゴリ:九州の話題
NHK大河ドラマ『西郷(せご)どん』
残り話数が10話くらいになりました。
ということで14日に放送された第38話では、
戊辰戦争が終わり、明治新政府が動き出しました。

上野・寛永寺に籠った彰義隊を倒すために長州藩が派遣した
稀代の軍師である大村益次郎の作戦により、わずか半日で新政府軍は勝利しました!
この戦いでは佐賀藩が製造したと言われる新兵器、
ネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲が活躍したそうです。
完成度高けーなオイ。

その後旧幕府軍は北へ逃れ、東北・北陸諸藩と手を組み、
奥羽越列藩同盟を結成して新政府軍と対峙しました。
新政府軍、もとい益次郎は奥羽越列藩同盟と戦うには薩摩の力が必要だという事で、
西郷吉之助(隆盛)に薩摩藩から出兵をしてもらうよう依頼しました。

実際には彰義隊との戦いの後京へ戻り、薩摩藩主・島津忠義とともに鹿児島へ入った後、
体調を崩して現在の霧島市付近にある日当山(ひなたやま)温泉
療養していたところへ新政府軍から出兵依頼を受けたそうです。

西郷家は吉之助の他、弟の信吾(のちの従道)、小兵衛が戦場に出ていましたが、
すぐ下の弟である吉二郎は吉之助に代わって西郷家を守って来た、
『縁の下の力持ち』的な存在でした。
しかし吉二郎も吉之助や弟たちとともに戦場に出たいと志願し、
兄・弟たちとともに北陸戦線へと赴きました。

しかし北陸では奥羽越列藩同盟に加わっている長岡藩の
軍事総督・河井継之助率いる旧幕府軍の抵抗や、
長岡藩が購入したガトリング砲による攻撃を受け、新政府軍は苦しみました。

そんな中・・・吉之助のもとへ
吉二郎が撃たれて負傷したという知らせが入ります。
弟のもとへ駆けつけたい思いを殺して吉之助は旧幕府軍を倒しました。
その後吉之助は吉二郎のもとを訪れますが、
「兄さぁ、体を大事にしてくれやい。」
と言い残し、吉二郎はこの世を去りました。

その後はナレーションで戊辰戦争が終わりますが、
会津戦争や五稜郭の戦いに吉之助が参戦していないので仕方がないと思います。
それともまた会津がやられるところをまざまざと描かれないようにするための
NHKの良心だったのではなかったのでしょうか?

余談ですが会津戦争で旧幕府軍の主力だった会津藩の家老は
西郷頼母(たのも)という名前ですが、奇しくも西郷隆盛の遠戚に当たるそうです。
しかも明治に入ると交流もあったそうです。

戦争が終わった後、ついに明治新政府が本格的に動き出しますが、
その役目を大久保一蔵(利通)に託し、吉之助は薩摩へ戻りました。
吉之助の懐には吉二郎の遺髪があり、受け取った吉二郎の妻は泣き崩れていました。

脚本家がバ○なのでスタッフが誰も脚本を見ておかしいと思わなかったので
吉二郎の妻にはこの時初めて夫の死が伝えられたように描かれていますが、
吉二郎が死んでから吉之助達が帰宅するまでかなり時間が建っていますので、
そんなことはあり得ないと思います。

そしてこれまでの戦いで犠牲となった多くの人々を弔うためか、
吉之助は髷を切り、ざんぎり頭となりました。
ほぼ同時刻にやっていたは○からさんの映画でも似たようなシーンが・・・

これで『革命編』が完結し、来週からは『明治編』が始まります。
本来はこの間にスペシャルがあったのですが、台風24号のせいで飛ばされました。
気になるのはナレーションやっていた人がドラマに出てきている点です。

『明治編』はどのように吉之助の最後を描いて行くのか気になるところですね。
それでは、今日はここまで。



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最終更新日  2018年10月15日 21時42分19秒


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