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カテゴリ:きまぐれエッセー
偶然にある事情が重なって、長男と末娘が帰ってきた。 昨夜は久しぶりに揃っての夕食の後、熟年夫婦は深夜まで子どもたちに(へ、ではない)接客経営についてのレクチャーを受けたのである。 息子も娘も、現在のビジネス内部のリーダーとして自他ともに認められる実績をあげているから、話しにはそれなりの説得力がある。 が、僕は経営効率とかテクニックとかは無縁な人間なのである。とりあえず今を生きる糧があればそれでいいではないか、という主義であるから…。 というようなわけで、レクチャーはうつらうつらと拝聴していたが、溌剌と現在を語る子どもたちをみていて、これが人生ということかな、と思考はあらぬ方向にむかっていた。 そのむかし、結婚したいとか子どもを生もうと思ったときは、自分の人間としての衰退が始まったことだったのかも知れない、と子どもたちをみていて思ったのだ。 自立した子どもに育ってくれた、それはありがたいことではあるが、これは生物でいえば世代交代を意味するのかも知れない。 人間が伴侶を求めたり、子どもが欲しいと思ったりした欲求を、人間は“愛”だの“恋”だのと理屈をつけているが、冷徹な生物学的にいえば、種の継続という法則に添っての行動に無意識に添っているのである。(などと、まだどこからか「異議あり」が…) なんとなく、みんなそれを単純に愛だと思いこんでいた背景には、親の庇護から離れた孤独があったり、死へ向かってゆく予感があったりして、自己増殖の摂理へと導かれていたのではなかったか。 そう思って成人した子どもたちを前にすると、青年時代に心のどこかで恐れていた死への恐怖というものが、今はほとんど薄れていることに気づく。 つまり、これは種としての世代交代の準備が整いつつあるということかも知れない。…などと息子の熱弁を前にぼんやり不埒なことを考えていた。 すると、横にいる娘から「お父さん、聞いているの。ちゃんと覚えなければダメだよ」と、これでは完全に小学生の頃、娘にいった言葉が攻守ところを替えて向かってきているのである。 いやはや。 楽天友だちからのご紹介です 安くておいしいメキシコ料理の店 「テピート」 チューチョさんはメキシコ人、そのチューチョさんの店が「テピート」だそうです。 そのチューチョさんはアルパという楽器の演奏の名人で、数枚のCDも出しています。 東京付近にお住まいの方、訪ねてみませんか。 予約・お問い合せは、 世田谷区北沢3-2-17 TEL 03-3460-4931 滝沢久美 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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なるほどね、世代交代の準備は、我が家でも進んでいるというわけですね。
試験のときに、京都まで「連れていってあげた」のに、今は京都の人混みの中で「ちゃんとついてこいよ、お母」ですもんね。団塊の世代、あちこちで交代が進みつつある…どうかスムーズにより高みへの世代交代であってほしいです。 (2008.03.21 22:21:41)
皮肉言います。(あらかじめ、ペコリ)
>冷徹な生物学的にいえば、種の継続という法則に添っての行動に無意識に添っているのである。 >つまり、これは種としての世代交代の準備が整いつつあるということかも知れない。 こう思うのは、mskさんが老年期に入ったという証左にすぎないのでは? でなければ、「愛」とはこういう本能にベールをかけるためのまやかしに過ぎないということになる。 それなら何度も生殖行動はとりながら、子孫を残さない者たちは、本能の声は無視している変種? な~んて屁理屈かもしれません。だって、「愛」というもの、未だに自分にはよくわかりません。 それと、これで行くと私もすでに世代交代の準備はできていることになりますが、今でも胸を締めつけられる心の揺れは一体なんでしょう? 愛が種の継続を円滑に進めるための潤滑油ならば、すでに必要分は消費したはずなのに… (2008.03.21 23:46:50)
「異議あり」ではないが。
「愛」という日本語の貧困さと言おうか文化が無いと言おうか。 一つの語に対する訳がいくつもあるなら、その意味を深く理解することが出来ます。 そして人は物事を言葉で理解しようとするものなのです。 その言葉が貧困な為に十分な分析と理解の障害になっておるのです。 日本語の「愛」なんて言葉は何でもかんでもひっくるめて言っちゃってるから日本人は上手く愛を語れるようになっておりませぬ。 種の保存が本能であれば、そこには最初から愛なぞなくても良いのであります。 神は種の保存に必要な行為の出入口に肉体的快感を書きしるしておかれました。 しかし正規の順番から言えばどうもちと違う。 そこに恋愛や性愛の妙ちくりんなからくりが仕込まれておったのであります。 そして生殖能力に乏しいもしくは問題があっても種の保存の欲求はある様子。 この辺は十分な考察が必要ですが、取り敢えず仕事に戻ります。 <続く>←もういいって? (2008.03.22 08:45:02)
人間が伴侶を求めたり、子どもが欲しいと思ったりした欲求を、人間は“愛”だの“恋”だのと理屈をつけているが、冷徹な生物学的にいえば、種の継続という法則に添っての行動に無意識に添っているのである。(などと、まだどこからか「異議あり」が…)
--------------------- なんだか異議アリおじさんばかりが集まって恐縮。 「愛」という文字を用いたのは、イエズス会士が 聖書の翻訳都合で適切な概念が日本に存在しないので 驚いた彼らがさまざまに押し込みした。 最初は「大切」だった。神の愛は「神の大切」 惚れた、愛したは、「我は貴殿を大切に思う」と 当て込みした。みなクリスチャン伴天連の都合。 つまり、パソコンがDiskOperationSystem(DOS)の 都合で不便に出来上がっているのと良く似ている。 博愛よりも淡い、大切を愛に転用するのがそもそも 誤用に近いと思うが、欲を語らずに済む工夫が 怪しい。 msk222さんは、文藝にはことのほか関心が高いが 同程度歴史意識というのか、博物誌史にも視野を ひろげられたほうがより深みを増すと思います。 人間が、理屈をつけているというよりもその語を 用いること自体がすでに、前提含みであり所与性 帯びているために普遍的に人間を語る資格を事前に 失っています。そういうポジションが、私の恒例。 (2008.03.22 12:27:44)
takanebiranjiさん
>なるほどね、世代交代の準備は、我が家でも進んでいるというわけですね。 >試験のときに、京都まで「連れていってあげた」のに、今は京都の人混みの中で「ちゃんとついてこいよ、お母」ですもんね。団塊の世代、あちこちで交代が進みつつある…どうかスムーズにより高みへの世代交代であってほしいです。 ----- こういうことはあまりスムーズに行き過ぎでも面白くないと思います。 (はかない)抵抗をくり返しながら、いつの間にかジジババになっている、ということでいかがでしょうか。 僕も、こう書いていながら、まだスキあればと思っているわけですから…。 (2008.03.22 13:19:03)
Rinnさん
> 皮肉言います。(あらかじめ、ペコリ) >>冷徹な生物学的にいえば、種の継続という法則に添っての行動に無意識に添っているのである。 >>つまり、これは種としての世代交代の準備が整いつつあるということかも知れない。 >こう思うのは、mskさんが老年期に入ったという証左にすぎないのでは? >でなければ、「愛」とはこういう本能にベールをかけるためのまやかしに過ぎないということになる。 >それなら何度も生殖行動はとりながら、子孫を残さない者たちは、本能の声は無視している変種? はい、まったくそのとおりでございまして、子孫を残す残さないにかかわらず、生殖行動は繰り返しているわけでして、それは“性欲”というような無粋ないいかたでなく、なんらかのオブラートをかけたいわけです。 それが、種の継続であったり、愛や恋という名詞であったり…。 >な~んて屁理屈かもしれません。だって、「愛」というもの、未だに自分にはよくわかりません。 まことに…。 >それと、これで行くと私もすでに世代交代の準備はできていることになりますが、今でも胸を締めつけられる心の揺れは一体なんでしょう? >愛が種の継続を円滑に進めるための潤滑油ならば、すでに必要分は消費したはずなのに… ----- ですね。 どなたかが、「男は一定量を使い終えると、最後にポトリと赤い玉が出て一生分が終わる」なんて書いていましたが、その赤い玉なるものを見たという人を知りません。 みんな、それ見たさに努力しているのでしょうか。 (2008.03.22 13:29:30)
誰やねんっ20号!さん
>「異議あり」ではないが。 >「愛」という日本語の貧困さと言おうか文化が無いと言おうか。 >一つの語に対する訳がいくつもあるなら、その意味を深く理解することが出来ます。 >そして人は物事を言葉で理解しようとするものなのです。 >その言葉が貧困な為に十分な分析と理解の障害になっておるのです。 >日本語の「愛」なんて言葉は何でもかんでもひっくるめて言っちゃってるから日本人は上手く愛を語れるようになっておりませぬ。 うん、このところはさすがですね。 曖昧模糊にしている。しかし、それがなにやら免罪符になっている。 >種の保存が本能であれば、そこには最初から愛なぞなくても良いのであります。 >神は種の保存に必要な行為の出入口に肉体的快感を書きしるしておかれました。 >しかし正規の順番から言えばどうもちと違う。 >そこに恋愛や性愛の妙ちくりんなからくりが仕込まれておったのであります。 >そして生殖能力に乏しいもしくは問題があっても種の保存の欲求はある様子。 はい、わかりやすい説明で、納得できました。 >この辺は十分な考察が必要ですが、取り敢えず仕事に戻ります。 ><続く>←もういいって? ----- いえいえ、ご高説を伺いたく。 (2008.03.22 13:34:07)
シャルドネ。さん
>人間が伴侶を求めたり、子どもが欲しいと思ったりした欲求を、人間は“愛”だの“恋”だのと理屈をつけているが、冷徹な生物学的にいえば、種の継続という法則に添っての行動に無意識に添っているのである。(などと、まだどこからか「異議あり」が…) >--------------------- > >なんだか異議アリおじさんばかりが集まって恐縮。 > いえ、どうぞいつものようにご遠慮無く。 > >「愛」という文字を用いたのは、イエズス会士が >聖書の翻訳都合で適切な概念が日本に存在しないので驚いた彼らがさまざまに押し込みした。 > そうでしたか。その昔は、何だったのでしょう。 「いとおし」では少し違うし…。 > >最初は「大切」だった。神の愛は「神の大切」 >惚れた、愛したは、「我は貴殿を大切に思う」と >当て込みした。みなクリスチャン伴天連の都合。 都合でしたか。 >つまり、パソコンがDiskOperationSystem(DOS)の >都合で不便に出来上がっているのと良く似ている。 > >博愛よりも淡い、大切を愛に転用するのがそもそも >誤用に近いと思うが、欲を語らずに済む工夫が >怪しい。 > 偽善的で率直でなかった。 > >msk222さんは、文藝にはことのほか関心が高いが >同程度歴史意識というのか、博物誌史にも視野を >ひろげられたほうがより深みを増すと思います。 努力したいとは思いますが、むかしから勉強嫌いで…。 >人間が、理屈をつけているというよりもその語を >用いること自体がすでに、前提含みであり所与性 >帯びているために普遍的に人間を語る資格を事前に >失っています。 いや、てきびしい。 >そういうポジションが、私の恒例。 それは、よく存じています。 (2008.03.22 13:40:20)
マリィ ジョー ♪さん
>こんばんは。 >mskさんってほんとにロマンチストですね! へっ、???? ですか。 >愛、、うふふ ----- なんでしょうね、意味ありげなわらい。 (2008.03.25 21:29:05) |