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カテゴリ:源氏物語つれづれ
とうとう紫の上が物語から退場してしまった。 この御法(みのり)の巻で私が感じたのは、 明石女御が養母である紫の上の抑制した気持ちを 汲み取ることのできない哀しさだった。 血縁こそないが幼いころから身近で大切に養育されてきたのだし、 女御自身実母よりも紫の上に愛着を感じているはずなのに、 心のうちに押し込められた思いを洞察できていないことが残念だった。 せめて花散里ほどの思いやりがあったならどんなに慰められたことか。 しかし孤独を強いられるのがヒロインの命運なのかもしれない。 紫の上が幼い三宮相手に、 「おとなになり給ひなばここに住み給ひて、この対の前なる紅梅と桜とは、 花の折々に心とゞめてもてあそび給へ。 さるべからむ折は、仏にもたてまつり給へ」 と話すところはいかにも哀れで印象的だ。 小康を得た紫の上が脇息に寄りかかってお庭を見ていると、 「かばかりの隙あるをも『いと嬉し』 と思ひ聞こえ給へる御気色を見給ふも心苦しく、 『つひに、いかにおぼし騒がん』と思ふにあはれなれば」 とあるのも、実感がこもっていて共感できる場面だった。 紫の上の死後、源氏はすっかり腑抜けになってしまったが、
子息の夕霧がてきぱきと実務を処理するところはおもしろい。 女性の気持ちを思いやるような恋愛には不器用だが、 決め事にはきっちり対応できる無機質な人格なのだと思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
March 18, 2018 02:43:22 PM
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