カテゴリ:近代別荘・別邸史
調査終盤になって次のような記事があきらかになった。江見水蔭独特の文章によって表記された回想録である。
「川上と団十郎。対象させるのは不服の人も有りませうが、当人としては確かに向うを張っていたので、茅ヶ崎の堀越(団十郎)の別荘を、孤松庵と呼ぶに対し て、自分の同所の別荘を(本邸は其の頃無いのですが、)萬松園と名付けて、いや、伊藤公に名付けて頂き、其の額面を同公に揮毫して貰って喜んで居りまし た。」「この揮毫を表具師に頼んでくれと、私の品川陣屋横丁の宅に持ってきたのは、夜更けてでありまして、門を開ける時にグチャリと攫んだのは、守宮……。」(江見水蔭「私の見た川上音二郎」『藝術殿』一九三二年(昭和七)一一月号) この文章を分析すると 1、団十郎別荘と対象するということは、団十郎に対し格差を自覚している。 2、当人としては確かに向うを張っていた。ということは、対峙する目標を示している。 3、孤松庵に対して萬松園の呼称を明らかにした。 4、「自分の同所の別荘を(本邸は其の頃無いのですが、)萬松園と名付けて」とある自分の同所の別荘とは、あきらかに茅ヶ崎の地を示している。 5、(本邸は其の頃無いのですが、)をどの様にとらえるのか A、「本邸は其の頃無い」とは、音二郎・貞の住まいは、その頃はない。住所不定 B、「本邸は其の頃無い」とは、本邸ではない別の建物が購入前に存在していた。 C、「本邸は其の頃無い」とは、土地は存在したが、建物は、無かった。では、ここでいう「本邸」の表記は、何を意味しているのだろうか。 6、萬松園と名付けて、いや、伊藤公に名付けて頂き、伊藤公とは、伊藤博文のこと これについては、「いや、伊藤公に名付けて頂き、」とあるので「いや、」という否定から「伊藤公に名付けて頂き、」肯定に転化している。それは、団十郎に対して不均衡な格差均衡を図る目的で伊藤博文が名付け揮毫してもらったというのがどうも真意であるようだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年03月10日 10時20分02秒
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