ただもてる愛を惜しみなく
19歳の猫が逝ってしまったのが10/31だったけど、最後まで生き切った姿が清々しかった。そういうと、家族もそう感じていると言ったのが印象的だった。生き切って、命の灯が消えるまで生きた、りろ。このブログのりぃー子というのは、私の名ではなく、りろの名からもらったもの。りろは子供の頃から死ぬまで同じ顔だったので、子猫の時にもう大人顔で、貰い手が全くみつからず諦めていたというのだけど、私は張り紙を見て一目で気に入り電話したのでした。PCの前に座っていると、背後のデスクに登って私の肩を手でトントンとする。振り返ると、すました笑顔で待っている。私は、大好きだよ!とすりすりする、というただそれだけのことだけど、お互いに単純に愛情を確認する毎日の行事だった。いろいろ体も不調があり痛みもあっただろうに、いつも笑顔で家族を見てくれていた事を尊敬してしまう。元々猫は痛みや不調を相手に気付かれないように隠す習性があるというので、当たり前の事なのだろうけど、それにしても最後まで愛と笑顔と気高さを持って生きられるだけをただ生き切った。動けるだけ動き、楽しめるだけ楽しんで過ごしていたように思う。その姿を思い出すと、私も頑張ろうと思う。生きている限り、人生をできる範囲で楽しんで。周りへの愛を当たり前に放ち、相手からの愛を受け取るだけだけど、今その事が何より大切だったと思う。多分、一緒に暮らす中で最も大切なのは、愛情を持つことと、それを少しでも伝えようとする事。色々失敗も喧嘩も行き違いもあるけれど、愛情を伝えあっていれば、多分それがお互いの勇気や生きる力になるような気がする。猫は家族を愛し、家族も猫を愛してきた19年、そしてこれからも。