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カテゴリ:旅行 東京
横須賀にある戦艦三笠
日露戦争の日本海海戦で大勝利を飾った 東郷平八郎大将が乗船した旗艦船 日露戦争開戦1904年明治37年 当時世界最強といわれたロシアとの戦争が始まる ロシアの南下政策を阻止する為の戦いでもあった (現在のウクライナと同様)ロシアは当時から 現在に至るまで姿勢がまったく変わっていない。 またこの戦争は白色人種と有色人種の初めての 戦いであり日本が勝利した事でその後の世界激変 に繋がる、この勝利がなければ今もイギリスや アメリカの植民地支配が世界中で続いていた。 日露戦争を勝利に導いたのは、陸軍、海軍が戦場 で戦う以外にロシア国内における諜報活動を行う (今でいうスパイ活動)や開戦と同時にアメリカ にロシアとの仲介を依頼するなど(戦争終結の為) 明治政府の外交力の高さもあった。 JR横須賀駅は少しイメージと違い寂しい駅 街の中心部からは少し離れている。 ![]() 自衛隊の基地でもある横須賀 日本における潜水艦基地はこの横須賀と 広島の呉の2か所のみ、潜水艦は全部で 21隻もっており航続性能や静寂性能は 世界で高く評価されている。 ![]() 護衛艦でしょうか 何隻か停泊中 ![]() 駅からはバスで三笠公園まで向かいます ![]() 在日米軍基地も横須賀にある 第七艦隊に所属する空母ロナルド・レーガン の母港でもある。 ちなみに日本でコロナがいち早く流行するのは 必ず米軍基地周辺地域、米軍関係者はノーチェック で世界各地から日本の米軍基地に入りウイルスを 基地関係者や周辺の歓楽街でまき散らします。 日本各地の国際空港でいくらチェックを厳しくしても アメリカ軍を何とかしなければ税金の無駄使いに終わる。 100年前に発生したスペイン風邪はもともとアメリカに よって世界中に広まった。(アメリカ風邪に名称替えるべき) そもそも国内に米軍基地があるのは太平洋戦争に 日本が負けて以降各地で不当に占拠されている。 (占領状態の継続) 一応日米安保と理由をつけていますが 沖縄の現状は悲惨、在日米軍の8割が沖縄に集中 また沖縄本島の面積2割を米軍が占めている。 米軍滑走路の延長線上(数キロ)に民家があり 超低空で戦闘機や戦闘ヘリが飛んでいます。 いつ墜落など事故が起こっても不思議でない 実際に航空機事故や米軍人と日本人との事件 ・事故も多発している。 米本土の航空機基地の滑走路の延長線上(数キロ) には民家は存在しない。日本人の命が軽く見られている。 先日沖縄在住の方から聞きましたが、騒音は戦闘機 だけでなく、米軍の普天間飛行場に配備されている オスプレイ(垂直離着陸機)のモード切替時には 騒音と振動で家(マンションなど)も揺れるそうです (ヘリモードから飛行機モードへプロペラの角度変更時) 在日米軍横須賀基地入口 ![]() 約10分で到着 ![]() 戦艦三笠 「三笠」はイギリスのヴィッカース造船所に発注 した戦艦、明治35年3月に竣工、横須賀に配備され 明治36年12月連合艦隊に編入され旗艦となった。 ![]() 東郷平八郎大将 ![]() 入場料600円 ![]() 無料ガイドツアーも開催されます ![]() 連合艦隊司令長官の東郷平八郎司令官 の乗艦船 ![]() 船体横側には沢山の砲 当時は艦船はお互い横向きで攻撃を行った ![]() 船内の様子 床板の一部は明治当時の物が残っている ![]() 通信室 「本日晴朗なれど波高し」 有名な電文もここから発信された 起草したのは秋山真之 視界が良く波が高かったのは日本の勝利 に大きく繋がっている。 ![]() 砲身への弾詰込み 全て手動で行った ![]() 弾薬の補充もバケツリレー方式 ![]() 一般兵の寝床はハンモック かなり寒かったのだはないか? ![]() 船体の先方から見た三笠 東郷司令官が指揮を執ったデッキも見えます ![]() 在日米軍施設も近くにある ![]() バルチック艦隊と戦闘時指揮を執っっていたデッキ ![]() この中央で東郷長官が指揮 ![]() 三笠乗艦のメンバー ![]() デッキの下にある指令室 通常はこちらで指揮する ![]() 三笠の精巧な模型 ![]() 艦長クラスの洗面所と風呂 (船後方) ![]() 幹部の食堂 作戦会議なども行われた部屋 (船後部) ![]() 滑り止め加工が施された食器棚 ![]() 幹部の食堂 ![]() イギリスでの進水式 三笠 ![]() 日本海での三笠 ![]() 日露戦争時の三笠 ![]() デッキで使われていた双眼鏡 ![]() 日露戦争に勝利した日本が結んだ 講和条約 ロシアの南下政策を止めた日本 バルチック艦隊と戦った日本海戦で勝利した勝因 ①徹底した戦闘訓練が実施されていた (ロシア側の油断) ②火薬性能が高い、発砲した後に煙が少なかった 為視界が良好であった。 (ロシア側は黒煙を発し視界不良であった) この2点が大きかった ![]() 当時の地図と勢力図 これを見るとウクライナの件は遠い国の話ではない ![]() 東郷平八郎(1848年~1934年) 海軍軍人、最終階級は元帥海軍大将 鹿児島加治屋町生まれ 西郷隆盛や大久保利通と同じ町内の生まれ 西郷隆盛1828年生まれ、大久保利通1830年生まれ 20歳くらい下の後輩にあたる 1862年薩摩藩士として薩英戦争に従軍 戊辰戦争では春日丸に乗船し函館戦争でも戦う 明治になると海軍士官として明治4年~明治11年まで イギリスのポーツマスに官費留学する 西郷隆盛の西南戦争時はイギリスに居たため参戦 せず、もし日本にいたら西郷さんについていたと 後日語っている。 ![]() 鹿児島市多賀山公園にある 東郷平八郎墓所 遺髪が埋葬されている 桜島と鹿児島市内が一望できる高台 (訪問時撮影) ![]() 新幹線の鹿児島中央駅前が加治屋町 歴史に残る偉人をたくさん輩出した街(町内会) 訪問時撮影 ![]() 現在の加治屋町、雲の先には桜島が見える 訪問時撮影 ![]() この地域では郷中教育が盛んにおこなわれていた 訪問時撮影 ![]() 教育の内容 このような独特の風土が西郷隆盛の私学 に繋がっていく 訪問時撮影 ![]() 西郷隆盛生誕地(加治屋町) 訪問時撮影 ![]() 大久保利通生い立ち地(加治屋町) 訪問時撮影 ![]() 東郷平八郎誕生地(加治屋町) 現在は学校となっている一部に 記念碑が建っている 訪問時撮影 ![]() 山本権兵衛誕生地(加治屋町) 訪問時撮影 ![]() 大山巌誕生地(加治屋町) 訪問時撮影 ![]() 明治の初めは薩摩族と長州族が政府の要職 を占めていたため同じ町内会からこれだけの 人物を輩出できた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.03.24 09:03:59
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