カテゴリ:書評・読書メモ
生命の意味論 多田富雄「生命の意味論」・・・超(スーパー)システム 1997年刊 生物学的にみた「自己」というものの成り立ち・・ 「生命機械論的なメカニズムに支えられながらも、やがて機械を超えて 生成してゆく高次のシステムとしての免疫系を、 「自己」というものを自ら作り出していく「超(スーパー)システム」とみる」 「私たちの体では、一日に3000億個あまりの血液細胞が死に、 その数だけ新生し補給されている、 赤血球だけでも2000億個、 白血球が700億個、 リンパ球が100億個以上である。 1秒に、350万個の細胞が死んで、また生まれている計算になる。」 「超(スーパー)システムは、・・あらゆる可能性を秘めた何ものでもないものから、 完結したすべてを備えた存在を生成してゆくシステムである。」 超(スーパー)システムとしての生命の特徴・・ 「自己生成」 「自己多様化」 「自己組織化」 「自己適応」 「閉鎖性と開放性」 「自己言及」 「自己決定」 この超(スーパー)システムに、目的はあるか? 「ないではないかと、私は考えている。」 「超(スーパー)システムは、直接の目的を持たないシステムとして発達してきた。 システム自体が自己目的化しているシステム。 超(スーパー)システムは、超(スーパー)システム自身の内部的な目的で、 新たな要素を追加し、複雑化させながら進化してきた。」 「驚くべきことに、 生物学には「死」という概念はなかった。」 アトポーシス・・自殺する細胞・・ 「細胞は、自らの設計図であるDNAを切断して死んでいく。 それによって逆に、脳神経系や免疫系などの高度の生命システム、 私が、超(スーパー)システムと呼ぶものが保証されていたのであった。」 ・・身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ 細胞が死ぬことによって、身体を生かす生命の不思議 <目次> 第1章 あいまいな私の成り立ち 第2章 思想としてのDNA 第3章 伝染病という生態学 第4章 死の生物学 第5章 性とはなにか 第6章 言語の遺伝子または遺伝子の言語 第7章 見られる自己と見る自己 第8章 老化―超システムの崩壊 第9章 あいまいさの原理 第10章 超システムとしての人間 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.05.28 21:06:18
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