カテゴリ:日本史・世界史
阿部謹也「西洋中世の罪と罰 亡霊の社会史」(講談社学術文庫) 2012年刊 今年、ちょうど500冊目の本。 11月に手を取った加門七海さんが面白く、一時、怪談実話系にはまっていましたが、 網野さんや阿部さんを通して、このような物語が、中世の世界観のものであったこと を再認識した年の瀬でした。 ≪エッダ、サガに登場する粗野でたくましい死者のイメージは、 中世後期の『黄金伝説』『奇跡をめぐる対話』では、生者に助けを求める哀れな姿となる。 その背景には何があったのか?≫ (「BOOK」データベースより) ヨーロッパ中世の12世紀から13世紀にかけて、大きな変化が起こる。 もともとゲルマン民族の原初の世界意識を伝えるエッダやサガには、 天国・地獄の図式はなかった。 しかし、キリスト教の普及とともに、 「贖罪規定書」以前の死者の国(元気な死者たちが暴れ回る)が、 だんだんと弱い死者の国(地獄・煉獄からの助けを求める)へと変化していった。 ヨーロッパと日本の歴史の根本的な違いの一つ。 それは、罪の意識の問題にある。 そもそも罪とは何か? ≪これはキリスト教の聖書に基づいてくり広げられる壮大な生活のモデルに基づくものである。≫ 「贖罪規定書」には、7つの大罪やその他さまざまがあり、 死後の世界をイメージさせることで、罪の意識を個人に植え付けようとした。 1215年のラテラノ公会議により、成人男女は年に一回は、 司祭に告解をしなければならないと定められる。 罪の意識は、個人の問題ではなくなる。 フーコーは、罪と権力の関係についてこういう。 「個人としての人間は、長いこと、他の人間たちに基準を求め、 また他者との絆を顕示することで(家族・忠誠・庇護などの関係がそれだが)、 自己の存在を確認してきた。 ところが、彼が自分自身について語りか得るかあるいは語ることを余儀なくされている 真実の言説によって、他人が彼を認証することになった。 真実の告白は、権力による個人の形成という手続きの核心に登場してきたのである」 (『性の歴史1 知への意志』) ≪中世の人間にとって死はいたるところで待ち伏せしていた。 いついかなる瞬間に命を落しても少しも不思議ではない状況のなかに、 中世の人びとは生きていたという厳しい事態をまず頭に入れておかなければならないだろう。≫ ヨーロッパにおいて、キリスト教以前は、大量の財宝が墓に埋められていた。 そのため、金銀の流通に大きな影響を及ぼしたとさえいわれている。 また、この風習がなくなることで、商業が復活し、都市の成立に結びついたという人さえいる。 亡霊は、冬に出現することが多く、特に冬至の頃が最も多い。 3月になると亡霊の数は減ってくる。 また、亡霊は、日暮れ時に現れる。 日が昇ったり、灯がついたりすると、亡霊の力は弱まる。 亡霊の現れる場所も、だいたい家のまわりだった。 これらの亡霊や土地の守護霊は、キリスト教により追われた。 <目次> はじめに 第一章 古ゲルマンの亡者たち 第二章 死者の国と死生観 第三章 キリスト教の浸透と死者のイメージの変化 第四章 中世民衆文化研究の方法と『奇跡をめぐる対 話』 第五章 罪の意識と国家権力の確立 第六章 キリスト教の教義とゲルマン的俗信との拮抗 --贖罪規定書にみる俗信の姿 第七章 生き続ける死者たち あとがき 註 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.12.31 08:11:07
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