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劉建輝「魔都上海 日本知識人の「近代」体験」(ちくま学芸文庫) 2010年刊 上海を上海たらしめていた魔性の正体とは? それは、全く異なる2つの空間にある。 1つは、旧上海県城を中心とする700年もの歴史を持つ伝統的な空間であり、 もう1つは、わずか150年余の歴史しかもたない、いわゆる「租界」である。 上海を訪れた日本の文人の反応・・ 谷崎純一郎は、中国横断のツアーに参加しているが、 特に南京・蘇州・上海といった南方の都会に感銘し、 「上海に一戸を構へてもいいくらゐに思つてゐた」というぐらい 上海のことが気に入っていた。 一方、同様のツアーに参加した芥川龍之介は、四か月にわたって中国各地を旅行する。 特に、上海は1か月半ほど滞在するが、前半の3週間は胸膜炎で入院し、 退院してから、精力的に行動したという。 そのこともあってか、「このカッフェはパリジァンなぞより、余程下等な所らしい。」 などと、「下品な西洋」と断じている。 ≪彼は半植民地である上海の「混沌」にひどく当惑し、みずから夢見た 「詩文にあるやうな支那」をもって「猥雑な、残酷な、食意地の張つた、 小説にあるやうな支那」を厳しく裁断した。≫ しかし、芥川は、横光利一に、一度は上海を見るべきだ、と薦めている。 ○日本脱出という夢 ≪ところで、日本にとっての上海にはたした役割は、明治期に入ると急速に変わりはじめた。 それはむろん日本が自ら「文明開化」を標榜し、直接欧米から近代諸制度の導入を 開始したために、従来の「中継地」としての上海がほとんど意味を持たなくなったことによる。 しかし、より根本的な原因は、むしろナショナリズムを基盤とした求心的な「国民国家」 を推進する明治日本にとって、半植民地でまったくナショナルな「アイデンティティ」を 持たない上海の「近代」は、一種の「脅威」でこそあれ、けっして従来のような西洋文明 の「最前線」として仰ぐべき対象ではなくなったところにあると思われる。≫ ≪上海という存在は、いわば「近代国家」のナショナリズムを超越し、中国や日本はもちろん、 欧米諸国といった、特定の国に所属せず、完全に「自由」な新天地として、 まったく新たな役割を背負わされたのである。 それは近代国家の統率がいよいよ強固となりつつある「閉塞的」な日本からみれば、 まさに「ロマン」を托すべき対象であり、「冒険」の夢を実現させてくれる恰好の土地であった。≫ <目次> プロローグ 二つの「上海」 第1章 サムライたちの上海 第2章 東アジア情報ネットワークの誕生 第3章 日本の開国と上海 第4章 「ロマン」にかき立てられた明治人 第5章 魔都に耽溺した大正作家たち 第6章 「摩登都市」と昭和 エピローグ 上海からみた日本 補論 上海ビッグバン―魔都、その後 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.05.02 23:16:55
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