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1972年に発見され、国宝となった高松塚古墳の壁画。発見者などの視点から高松塚古墳の裏を明かしていく。
発見者の視点 1960年代から差し掛かった高度成長期には都市部はどんどん開発されて、ニュータウンが次々と出来上がった頃。奈良県・明日香村も開発の波が押し寄せてきて・・・というのが導入部 関健氏が壁画を発見した直後に撮った写真が紹介されたり、村の開発と保存のために松下幸之助と当時の総理・佐藤栄作氏まで関わっていたという話、遺跡発掘に一応50万円(当時のレートで)捻出して発掘したが、関西大学の学生が駆り出されて発掘作業に取り掛かった・・という話は面白い話 実際に古墳発掘に駆り出された人がその時の苦労話、当時小学生だった人が石室発見のときの熱狂を語っていた。 石室発見!てことで国中注目になり、高松塚古墳の壁画の切手は寄付金付きだったが、6億円もの売上を獲得。その寄付金をもとに古墳周辺の土地を買収して史跡公園を整備、明日香村は観光地として復興をすることに。歴史的発見がきっかけとなり史跡の保存に関する法律が制定されることに。 平山郁夫の視点 シルクロードをお題にした絵で知られる平山郁夫。彼が関わった高松塚古墳の壁画の複製制作の裏を紹介。 平山氏は故人ということで、過去に高松塚古墳関連の番組に出演した時のインタビュー映像を紹介。 なぜ複製画が作られたのかと言うと、古墳は発見された後厳重な封印を施され、石室は一般公開されなかったため。 複製画作成プロジェクトには平山氏の他、彼の師匠・前田青邨ら8名の画家が参加。模写のため壁画を調べる際は防護服を着て30分しか絵は見られないという制限付き。石室は高湿度かつ、温度や湿度が変わるといけないため関係者から制限時間などがすぎると催促されたとか。他にも保存方法がわからず四苦八苦していたという話も登場 7ヶ月かかって完成し、複製は巡回展で展示。複製画が作られていたというのは初耳。更に壁画の複製画はもう一組作られていて、古墳の近所の展示スペースに展示されている。 平山氏は高松塚古墳の壁画の複製に関わったことが契機となって文化財保存に関心を持つようになった。 左野勝司の視点 2000年代に入ると壁画にカビが湧き、壁画消失の危機に。 壁画を封印する前に保存のための処理を1976年から3度施し、空調設備を建設、定期検査もやっていたがカビが湧いて修復しなくては・・てなった。一部の識者は完全に封印するべきという意見も出たが、結局は石室を分解して修復することに。左野氏は石室を解体するために専用の機械を作ったが、力の入れ具合を間違えると石室は壊れてしまう・・ということで改良に時間がかかっていることが紹介。 今は別の場所に移して展示されているが、高松塚古墳の壁画にカビが湧いて大騒ぎ(?)になった話は覚えてるなぁ。 色んな人が高松塚古墳の保存に関与しているということがわかるお題でした 関連ページ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Oct 10, 2021 09:31:14 PM
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