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カテゴリ:テレビ番組
今回のお題はタツノコプロ(前編)
漫画家の吉田竜夫氏が中心となって創設されたタツノコプロは当初吉田竜夫の漫画の版権やアシスタントの管理をするための漫画専門のプロダクションだった。それが1965年に作られたアニメ「宇宙エース」を発表したことでアニメ制作会社に転向。大河原邦男・天野喜孝・高田明美・布川ゆうじ・押井守らの人材を輩出し、出身者が独立して作った「葦プロ(現:プロダクション・リード)」、「スタジオぴえろ」「プロダクションI.G」等はアニメ史に残る作品を発表したほど。 前編で創業、ガッチャマン、タイムボカンシリーズ(ヤッターマン)をメインに語る 出演者 ・カズレーザー(MC) <関係者> 笹川ひろし(アニメ監督) 大河原邦男(メカニックデザイナー) 天野喜孝(キャラクターデザイナー) 石川光久(Production I.G 代表取締役会長) <立会人> 氷川竜介(アニメ研究家) <タツノコプロ創業> 当初タツノコプロは吉田竜夫氏の漫画の版権やアシスタントの管理をするための漫画専門のプロダクションで「ワイルド7」で知られる望月三起也は吉田氏のアシスタントだった。 まずは笹川氏が証言。笹川氏も吉田竜夫氏同様漫画家で師匠は手塚治虫。しかも連載も持ってたほど。 吉田氏にアニメを作れませんかね?と笹川氏が話したところ、吉田氏は乗り気に。でもアニメ制作のノウハウはない…って所で東映動画(現:東映アニメーション)から合作の話が舞い込んできた。タツノコプロが脚本・キャラデザインを、東映動画がアニメーションを担当する…という話だった。笹川氏らタツノコから3名が東映動画で三ヶ月間アニメーターの修行を行ったものの東映との合作話はお流れに。 企画がお流れになった後、笹川氏は漫画家に戻ろうかとも考えていたが吉田氏の一言で制作を続けることに。人材はないということで新聞で募集をかけたところ床屋に元自衛官という経歴の方が応募してきた。笹川氏が拙いながらも彼らに指導してたという話をしていた。 <レジェンドの入社> 天野喜孝氏はタツノコ1号作品「宇宙エース」制作から2年後に入社。絵をタツノコに持ち込んだら即採用されたと語り、大河原邦男氏はアニメ・漫画には全く興味はなく、新聞の募集記事を見て入社したが入社の動機は結婚するから…と現実的な理由。カズレーザーに「全然熱がない」とツッコまれてる 石川光久氏は(直接)吉田竜夫氏とは会ってないが(実は石川氏は吉田竜夫氏の娘婿)、アニメは吉田竜夫の影響力が強いと評してる <SFメカ> 氷川竜介氏が「マッハGO GO GO」が最初の主役メカがメインと評し、吉田氏はSF好きでは?と聞いていたカズレーザー。吉田氏はSF好きではなかったらしい。 アニメーターが吉田氏の絵を真似できなかった、アニメーターの募集に来た人も吉田氏の絵を見てアニメーターになることを諦める人がいたと証言。天野氏が吉田氏が深夜で原画を修正してる所を見たと証言 <科学忍者隊ガッチャマン> 「♪誰だ 誰だ 誰だ~空の彼方に踊る影~白い翼のガッチャマン~」でおなじみのタツノコクラシックヒーローの一つ・「科学忍者隊ガッチャマン」。TVは「~II」、「~F(ファイター)」と続編が制作され、その後にOVA、実写版も作られた傑作。(実写は「キャシャーン」実写版同様微妙だったようだが) 大河原邦男氏がギャラクターのメカデザインを担当したことで知られるが大河原氏がなんで採用されたのかが語られる。 大河原氏が言うには車の免許を持ってる人は制作進行に回されてたが、竜夫氏の弟・竜二氏の「せっかく美術の大学を出ているのだから」と言う当時専務であった吉田の進言により、大河原は美術部に配属されることに決まった。上司の中村光毅氏にいきなり新作の話を出され、まずはロゴをデザインを依頼された。オーダーは「(ガッチャマンは)空飛ぶヒーローだからそのイメージで」と言われて書いたが即OKが出た 制作の裏で駄目だしされたことは?と聞かれて大河原さんはないと答えたが、アニメーターさんには「緻密すぎ」と言われた。「ガッチャマン」の劇中でギャラクターお抱えの科学者にオガワラーって名前のキャラが出てきたりする 大河原氏ってインダストリアル系のデザインもしてるが実は絵を書くのは嫌いって言ってる。 <ギャグ・ヤッターマン> タツノコプロと言えば「タイムボカンシリーズ」に代表されるギャグ。 「ヤッターマン」の「ブタもおだてりゃ木に登る~」に、ドロンジョ様の「スカポンタン」、ボヤッキーの「ポチっ(とな)」はどう誕生したのかを取り上げる 「スカポンタン」は小原さんが考えたアドリブで、「ポチッとな」誕生は他の番組で小山高生氏がコメントしてたっけ。 アドリブばかりじゃ撮り直しばっかりじゃ?とコメントするカズレーザー。かなり声優さんの好きにさせてたと笹川氏がコメント。 天野氏はタイムボカンシリーズキャラデザの苦労話を披露。カズレーザーは天野氏はFFのイメージイラストから洋画の影響を受けていたと思ってたが、アニメーターだったのは驚いてた。自分も天野氏の経歴を知るまであの画風から元アニメーターって知らなかったし。 <ギャグメカ> 大河原邦男氏は「タイムボカン」に参加した際は搭載メカのヤゴマリンのデザインのみ担当してたが、中村光毅氏に勧められて「ヤッターマン」のメカデザに参加。大河原氏はギャグメカのほうが好きとコメント。 絵で説明するより実際にモックアップを作って紹介する方が早いといい、妥協しない姿勢を見せていた大河原氏。永野氏もメカに対して妥協しない姿勢を見せてたけど、ネジ一本までおろそかにしてはいけないんだとわかる。(自分はメカの模写をしたことはあるが、ろくにメカを書けないのに) 絵コンテの段階でオーダーをもらうことがあって頭に浮かんだアイディアをすぐ提出してたといい、笹川氏も大河原氏に無茶なオーダーをしたと言ってた…ってことで頭を抱えたオーダーがあったと答えてた お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Feb 9, 2024 12:30:05 AM
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