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日記はこれから書かれるところです。

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2005.10.03
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今日は無性にカボチャの煮付が食べたかった。

ひとまず、コンビニに行ってみるも、カボチャの煮付には出逢えず、弁当屋まで足を伸ばす。しかし、時間帯のズレからか、すでにカボチャの煮付は消えている。さらに足を伸ばし違うコンビニに訪れるも、カボチャ様はいらっしゃらず、諦念を持ちつつ、吉野屋に入る。

野菜を食うことで代替できるかと考えたが、そんなはずも無く、俺のカボチャ探しは、一つの教訓となって残る。つまり、反省を促してくれたわけだ。明日からは失敗するまい。

これは、ひとつの自分事主義の例である。

ここから抽出するのもなんだが、とりあえず、この事例からわかることを纏めれば、

・自分のタンパク質を消費する行動の動機となる
・自分以上でも自分以下でもない
・反省の契機となる

これをコミットメントと呼んで問題ありますか?


■「事なかれ主義」

「事なかれ主義」は、それ自体ではまだ危険ではない。むかつきはするが。
「事なかれ主義」はある種の自己保存欲求に支えられており、他者にとって計算可能な態度である。
決してプラスにはならないが、直接的な害悪を撒き散らすわけではない。
空気を汚染するくらいで済む。

言ってみればカメムシ君のことだ。
付き合って良い思いは絶対しないし、はっきり言ってくさい。密閉したビンの中では自分の悪臭で死ぬこともあるというが、まあ、大空を舞っている限りにおいては、俺は君の存在を認める。


■さらに酷きもの「他人事主義(ひとごとしゅぎ)」

「事なかれ主義」は、端的にコミットメントと離れている。
しかし、多くの人間は、あることにおいてはコミットし、あることにおいては「事なかれ主義」の態度を採る。そうでしょ?
だから、俺は「事なかれ主義」を断罪する気にはならない。

しかし、絶対にゆるせない態度がある。
それが、「他人事主義」だ。


■コミットメントという語の対極

「他人事主義」は、「事なかれ主義」とは異なり、特殊なやり方で「関わる」。
その意味において、コミットメントと土俵を同じくする。

そしてコミットメントと異なり、絶対に責任を感じない。反省しない。自分よりずっと大きなことを語る。

俺は、この醜いものを例える言葉をしらない。

うんこに例えたいが、俺はすでにうんこに多少の愛着を感じてしまっている。


■「甘え」と「デタッチメント」、そして「自由」

これはモリケン社長から示唆を得たことなのだが、「他人事主義」の基本は「甘え」にあるのだろうと思う。

それは、自己と他者との<境界>の問題だ。

自分のことがしっかり出来ていない、あるいは、自分に関することの達成感が無い。そんなときに、他者との<境界>が曖昧になり、無駄にカタルシスを求め、本来望んでいないことにタンパク質を消費してしまうのではないか。

今一度、デタッチメントについて考えるときなのかもしれない。

「消極的自由と積極的自由はコインの裏表のように結合している」(アマルティア・セン)の顰に倣って言えば、「コミットメントとデタッチメントもまた切っても切り離せない」ものなのだ。





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Last updated  2005.10.04 01:38:49
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