「みなさん、お元気ですか?」
赤く光る太陽の塔の写真を観ました。なかなかインパクトがありましたね。大阪の人はこれから太陽の塔の色や通天閣のライトの色を観て、一喜一憂するのでしょうね。いや一喜一喜ですね。大阪モデルは元々クリアできる数値ですから。休業要請解除の大義名分を得るための数値化です。
大阪人は得をしました。色を確認するだけ。いろんなことは上が考えてくれますから。羊飼いの指示に従っておけば幸せですからね。
さて、私は休業要請解除に異を唱えているわけではありません。はやく日常が戻って欲しいと切に願っている府民の一人です。しかし、だまされたくはありません。私や私の大切な人達に何かあっては遅すぎるのです。だから、疑いたいと思います。考えたいと思います。
大阪モデル。数値化。見える化。物事をシンプルに語ることが決して良いことだとは思えません。それが良いときもあるでしょう。しかし、複雑なことは複雑にしか伝えられないことがあると思います。シンプルにするデメリットは詳細を削ぐということです。マイノリティを除外するということです。シンプルなわかりやすい事柄は賛同し易く、権力を持ちやすく、同調圧力を伴いやすいのかもしれません。
また、数字はどうとでもなるということです。例えば、病床率。ベッドは余っていても、人が備品が足りない場合は50%でも医療崩壊は起きる可能性があるという当事者の声があります。
陽性率。多くの人はその日の検査数と陽性者の数の割合と錯覚しがちですが、検査結果は数日後にわかるので、その日の検査での結果ではないわけです。小学校の算数の授業ではこの計算方法は間違いということになります。検査数は伸びています。伸びていくほど陽性率が減っていくのは嬉しいのですが、違和感を感じます。神戸の無作為の検査結果の示すとおり、また政府の専門家委員会の人も明言していましたが、陽性者は数値で出てきた人数の✖️10は存在していると言ってます。検査を増やす理由は陽性率を下げるためではなく、そもそもコロナ感染者を治療するためが目的なはずです。
何故、政府はモデルを示すことが出来ないのか?感染症対策後進国としての対応の遅れもあったでしょうが、「わからない」からではないでしょうか?無責任であるとすぐには言えないのは、「シンプルに数値を提示することの方が無責任」と考えているということも考えられなくもないと思っています。
緊急事態宣言を解除するための指標としてはR値、実効再生産数が大切だということは納得できます。このR値がなかなかつかめないそうです。大阪モデルは他3つの指標でR値を推測しているに過ぎません。
しかし、大阪を全面的に否定しているわけではありません。上が答えをくれないから自分で考えようと態度で示したことは良いなと思っています。いろんな人が「自分達で考えなヤバイな」と、これで思いました。そのあとの岐阜モデルは大阪モデルより一歩進んだ、よりR値に近づけた対策のように思います。
様々な意見があるでしょう。大阪モデルは旗振りの役目はしたのだろうと思います。不安を覚えるのは、上述したシンプル故の府民の家畜化、また、リスクゼロでの解除ではないという点です。当たり前かもしれませんが。
私は思います。人類は統計学を身体に取り込むほど進化はしていない、と。ややこしいことを言いました。一体、何パーセント以下になれば安全なのでしょう。私の周りには、難病で逝った人もインフルエンザで逝った人もいます。彼らの疾病率は何パーセントなんでしょうか?割合は関係ありません。取り替えがききません。私にとって、彼は彼だったんですから。数値化は無力です。ですから、薬、ワクチンの目処がつくまでは安心できません。
ずっと自粛するのも無理でしょう。そのせいで命を落とす人もいます。だから、補償、補填だと思うのです。命か?経済か?ではなく、命も経済も、という弁証法的思考ではあるのでしょう。難しいね。元には戻らないと思います。それが悪いことばかりではないとも思います。悪いこともあると思います。新しい思想が必要だと思います。言い方をかえると新しい物語です。不条理に対しては真摯に誠実に向き合うことが必要なんだと思います。
今の大阪は、誠実さと不誠実さが見え隠れしているように感じています。
とても、前置きが長くなりました。エンゲキに関係ないことを書き連ねたように思われるかもしれませんが、私はエンゲキの切り口で書きました。
数値化出来ないこと、マイノリティ側に立つこと、統計学の反対側に立つことの提示は、エンゲキが担うことだと思っています。
もうすぐ、その後、エンゲキはとても必要になってきます。私にとって。私の大切な人々にとって。願わくば、いろんな人にとって。
エビデンスの不確実性をこの時期たくさん体験しています。エビデンスよりエピソード。つまり、物語がきっと人類が生き延びる上では必要になってきます。
大昔、ホモサピエンスは物語を手に入れたから生き残ったのです。今回も然り。
乱筆乱文ごめんなさい。私の考え方も更新されていくだろうし、更新していきたいと思います。
空の驛舎は、この期間、その後の「物語」を蓄積していこうと思っております。
きっとまた劇場でお会いできたら、幸せです。
2020.5.10の朝方
空の驛舎 中村ケンシ