うわばみ新弥行状譚(96)
二人は肩をならべ奥殿に向かった。 「ご案内申します」 小姓が現われ、きびきびした動作で二人を先導した。 「ご両人さま、参られました」「入れ」 忠直の声がした。 二人は朝の挨拶を述べ平伏した。「良い朝じゃ、茶なぞ飲みながら話を聞こう」 忠直が窓辺から視線を移した。 ゆったりと新弥は茶を啜っているが、磯辺伝三郎は性急に言葉をきった。「町人達の処分について、ご了解頂きましたなら直ぐに帰国いたしたく思います」「聞こうか、磯辺」 忠直が扇子で太腿をたたき促した。「では申し上げます。町人には穏便な処置を行います」 「穏便な処置と申すか」「厳罰の処置は、かえって町人の反感を買うものと推測致します。それ故、不始末が表沙汰となる恐れがございます」 「穏便にか」 忠直は不満そうであった。「殿の御意に添わぬとは思いますが」 磯辺が懐中から帳簿を取り出した。「ここに名のある者を藩庁に呼び出し、拙者が死罪に値する厳罰と申し聞かせます。さらに殿のご慈悲でこの度のことを口外せねば、穏便なる処罰で済ませると説得いたします」 「それが、そちの案か?」 忠直が訊ね茶を啜った。「はっ、さらに身代に応じた罰金を申しつけ身柄は拘束いたしませぬ、ただし口外した者は、即座に死罪といたします」 磯辺が語り終え忠直を仰ぎみた。「このような大罪を犯しながら、罰金のみで処分はお終いか」 忠直が厳しい口調で磯辺伝三郎に問いかけた。「厳罰は藩士の激怒を買いましょう、そうなれば町人等と軋轢も生じまする。藩のためにもお願いつかまつります。・・・殿、武士であれ町人であれ、男とは仕方のない者にございます。高根の花は手折ってみたくなります、そこに思いをいたして下されませ」 「美しい花は、手折ってみたいか」 忠直が、ようやく磯辺伝三郎の話の内容を理解したようだ。「左様、国許での不祥事は全て檜垣屋が、お膳だてをした結果にございます。ご禁制と知りながらも、美しい女子を抱きたいと思う者が男という生き物。そこを熟慮願い、穏便なるご処置をお願い申し上げます」 忠直が空の茶碗をもてあそび思案している、藩士と町人の軋轢は政事を危うくする。それはなんとしても避けたい、考えが纏まった。「磯辺、この度の献策はそち一人の知恵ではないの」「ご明察痛みいります」 磯辺が平伏し、忠直の顔に興味の色が刷かれた。「誰の知恵を借りた」 「昨晩、斎藤と飲んだ時に諭されました」「斎藤、そちにしては珍しい、男女の機微なぞ縁のないそちが色事の指南をいたしたか」 新弥が恥ずかしそうに顔を赤らめ口を開いた。「殿、磯辺さまの献策をお取りあげ下され」 新弥が重ねて言葉を継いだ。「あの帳簿が有るかぎり、罪を犯した町人は一生逃れることは出来ませぬ。また罰金で藩庫も潤いまする」 「時がたてば罰金なんぞ、直ぐに忘れる」 忠直が鋭い声をあげた。 「僭越ながら申し上げます。今のお言葉こそ核心をついております、その意味で罪の意識を町人に知らせる必要がございます」「どうして知らしめる」 忠直が新弥を見据えた。「この度の件は、次席家老と倅の一之進が画策せしこと。町人は次席家老の手先の檜垣屋に操られた結果にございます。まずは、次席家老親子の厳罰が肝要かと考えまする」 忠直が厳しい顔で腕組をして考え込んだ。「磯辺、そちの考えはどうじゃ」 暫くし、磯辺伝三郎に意見を求めた。「拙者も同感にございます。藩を治める模範となるべきご重役が、範を示さねば政事は成り立ちません。その意味で申さば、次席家老親子はお城下引き回しのうえ斬首」 磯辺伝三郎が剽悍な眼差しをみせ断じた。うわばみ新弥行状譚(1)へ