暗躍(41)
「新藤さん、貴方の身辺に何が起こっておるのです。教えて下さいよ」「驚くなよ」 新藤三郎兵衛が、ことの仔細を語った。「本当にございますか、しかし、こともあろうに牢屋敷に秘密の座敷を作り、そこに貴種を匿うとは相当な大物が陰におりますな」 石川三五郎が興奮で顔を赤らめている。「そうじゃ、妖怪と言われる鳥居甲斐も知らぬ大物がな」 新藤三郎兵衛が苦(にが)そうに酒を流し込んだ。「三五郎、拙者は今になって思った。牢屋敷に隠れ座敷なんぞを作り、南蛮者を匿うなど出来る人物は老中首座しかおるまい。あの若君は本物のご落胤じゃ」「新藤さん、わたしも本物の貴種と思います」「拙者は、とんでもないことをした」 新藤三郎兵衛が暗い顔つきで呟いた。「二人の死骸はいかが為されました」 石川三五郎が何事か考えつつ訊ねた。「松平敏次郎と名乗られ、葵の御紋の印籠など見せられたら、お主ならどうする。拙者は驚きのあまり逃げ戻ってきた」 石川三五郎が複雑な顔をした、今の言葉分らぬでもない。「明日になれば死骸が発見されます。二人とも従目付の腕自慢です、我等は総力をあげた探索を命じられますよ」「そこじゃ、三五郎。お主に頼みがある。今日一日拙者と一緒であったと目付殿に証言してもらえんかの」「分りました。貴種のことを知っては受けざるを得ません」 石川三五郎が快諾(かいだく)した。 「だが我等の攘夷とはなんじゃ」 新藤三郎兵衛が巨眼を光らせた、彼の脳裡に敏次郎の碧眼がよぎったのだ。「我等は日本の国是を無視する南蛮人を嫌ったまで、鳥居甲斐守のように根っからの儒学の徒(と)ではありませんよ」「そうじゃの、お主の言葉に助けられる」 翌朝、新藤三郎兵衛はお頭である、目付の矢部駿河守の呼び出しをうけた。 いよいよ正念場じゃ、新藤は覚悟をきめ役宅へと急いだ。「おう、参ったか。昨日から加藤源一郎と木村勝三の姿が見えぬ、何らかの事件にでも遭ったと心配いたしておる。なんせ従目付は恨まれるでの、その方、石川三五郎と共に心当たりを探ってはくれまいか」「畏まりました、して何処から手をつけます」「馬鹿者、それが分らぬから頼んでおる」 新藤三郎兵衛は石川三五郎を従い、真っ先に小伝馬町の牢屋敷へと向かった。両人の死骸が発見されないのが不審であった、発見されれば真っ先に知らせが届く筈である。町奉行所も出張っている筈だが、深閑として何事も起こった形跡がないのが不思議であった。 二人は牢屋敷の西側の道をゆっくりと進んでいた。「この辺りで貴種と太刀を合わせた」 石川三五郎が鋭く周囲に眼を配っている。「血痕の跡があります」 新藤三郎兵衛も眼を凝らした。間違いなく血痕の跡である。その時の敏次郎の鋭い斬撃の余韻を思い出した。「矢張り大物が控えておりますね、死骸を片づけたのです」 二人は極秘の座敷を何気ない様子で眺め、牢屋敷の東の練塀の道を進み、馬喰町へと歩を進めた。 (九章) 源三の容態が日毎に悪化している。高熱がつづき体力も落ち食事も咽喉を通らなくなってきた。 「源三、確りいたすのじゃ」「若さま、心配はご無用にございます。忍びで鍛えた躯、そろそろ峠をこします」 逆に励まされ、敏次郎が薬を塗るために晒しを取り除いた。(これは)傷口が紫色に変色し大きく膨らんでいる、手で触ると熱いほどである。 敏次郎が印籠の薬を塗布し晒しを巻きなおした。「だいぶ良くなっておりましょう」 源三が心配をかけまいと訊ねた。「源三、よく聞くのじゃ、毒素が全身に廻りはじめておる。傷跡が紫色に膨らんでおる、切開せねばなるまいな」 二人の会話を階段の下で盥を持ってお梅が聞いたいた。会話の途切れるのを待って、お梅が部屋に入った。むっとする臭気が漂っている。「源三さん、冷たい水をお持ちいたしました」 お梅が額の手拭をとって声を飲み込んだ。湿っている筈の手拭が干からびたように乾いていた、盥にひたし冷たい手拭に乗せ変えた。「こいつは気持ちがいい、お嬢さん今朝も一段と綺麗ですよ」 源三が熱に潤んだ瞳で眩しそうにお梅を見つめた。「怪我人が人を揶揄うものではありません」「こいつは一本取られましたね」 源三が笑い声をあげ苦痛で顔をゆがめた。暗躍(1)へ