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長編時代小説コーナ

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Oct 25, 2006
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カテゴリ:暗闘
 次にお千代が呼び出された。揚がり座敷から長襦袢姿で石出帯刀の前に

引き据えられた。三日間の晒しに耐えた、その容色はいささかも衰えず透明

な肌を見せていた。

「大奥、御年寄のお千代の方、将軍家菩提寺の学僧との密会不届き至極。

よって人別帖より名を抹消し、非人手下(てか)に処するなり」

 牢屋奉行の石出帯刀が刑執行を読みあげた。

「和光の処刑はすみましたか?」

「その方の密会の相手は、小塚原刑場にて磔刑となった」

 お千代の美しい眸が微かに曇ったが、毅然とした態度を崩すことはなかった。

「髪は元結とし木製の櫛以外の使用を禁ずる」

 帯刀が顎をしゃくった。牢内雑役の女房が粗末な木綿の着物をお千代の前に

置いた。女房がお千代の髪を元結になおし、乱暴な手つきで長襦袢を脱がせ、

妖艶な肢体から贅沢な腰巻をはぎ取った。

「お上よりくだしおかれた衣装に改めよ」  帯刀の無慈悲な言葉が飛んだ。

 お千代は悪びれた様子も見せず、粗末な木綿の衣装を纏い、素足に草履を

履いて牢屋奉行の石出帯刀を眺めやった。

 大奥で権勢をふるった御年寄のお千代は、加賀友禅の小袖や内掛けの

豪華絢爛たる衣装に足袋、履物で身を飾ってきたが、今や粗末な非人のなりに

姿を変えていた。

「これよりは穢多村新町の囲内頭、弾左衛門の非人手下として生きよ。汝は

士農工商の枠外に生きる賤民(せんみん)の千代なり、左様心得よ」

 牢屋奉行の石出帯刀の刑罰が下された。

 彼女は一文の銭も与えられず、牢屋敷の裏門から町に彷徨いだした。その

お千代の後を柘植の源三が秘かにつけていた。

      
         (八章)

 六月末というに雨が一滴も降らない空梅雨を迎えていた。その江戸に突然、

土砂降りの雨が襲いかかった。道路は冠水し至るところに土砂崩れをみせた。

特に本所、深川は地盤が低くその影響は深刻であった。

 大川も上流の影響で増水し、波立ちながら白い牙を剥いている。

 幕閣の心配は稲作にあった、この天保年間で何度となく凶作による飢餓が

繰り返されていた。飢餓は自然災害と人為的災害の側面をもっていた。

 それは藩外に米の売却を行う、一握りの商人の思惑によるものであった。

 天保七年の飢餓は特に深刻で大阪でも、飢えに苦しむ人々が町にあふれてい

た。幕府は財政難で彼等を救済せず、役人と豪商は結託し江戸に米を送って

大儲けをした。それに怒りを感じた男がいた。大阪町奉行の与力を勤め、隠居

の身の陽明学者大塩平八郎が、その人であった。

 彼は同志を募り、民衆の先頭にたって豪商を襲った。これが大塩の乱である。

蜂起は一日で鎮圧されたが、幕政に関与した者が公然と武力で反抗したことに

幕府はじめ諸藩は大きく動揺した。

 この乱の波紋は全国に広がり、改めて幕府の無力化を諸国に暴露する結果

となった。何故、このような結果となったのか、それは大阪が江戸や全国の

物流の基地となったことに機縁する。北浜にある堂島米市場が蔵米を一手に

引き受け販売していたのだ。

 ここでの米相場が江戸時代の物価の基準となっていた。

 幕府や大名、旗本は年貢米を徴収し必要な量を確保し、残りを現金化

しなければならなかった。その売買取引は全国各地で行われていたが、最大の

市場は大阪であった。売買される物品は米だけでなく、諸藩の特産物も含まれ

ていた。これらは蔵物と呼ばれ、これを管理する所管を蔵屋敷と呼んだ。

天保時代、幕府、諸藩、旗本の蔵屋敷が百二十五軒もあったと言われる。

 大名ははじめ家臣を派遣していたが、大阪商人にそれを移管するようになっ

た。こうした商人に蔵元として蔵物の出納、販売を請け負わせた。

 彼等の多くが両替商も兼ね、蔵物の代金の預かりや、送金、さらに融資も

行い巨利をえた。

 大名は江戸屋敷や家臣の賄い金として莫大な資金が必要で、一時凌ぎで

蔵物を担保に金を借りた。借金には利息が必要なことは当然で、大阪商人は

さらに力をつけ、武家の実権を商人に握られることになった。

 江戸でも旗本、御家人等の幕臣の金は、大阪同様に江戸の札差商人に握ら

られていた。

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Last updated  Oct 25, 2006 09:31:56 AM
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