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タコ社長,オーストラリア・メルボルンのスローライフな日々

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2008年12月02日
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テーマ:海外生活(7775)
カテゴリ:忘れられない人々
なにしろ、邪魔なのだ。オランダ系の連れ合いの姑とかの話ではない。街中を猛スピードで走る自転車のことだ。ガソリン代高騰などもあり、自転車通勤がものすごい勢いで増えている。世界的な傾向なのだろうが。車との接触事故も多発している。自転車を登録制にしようという動きさえある。

自転車といえば、日本に帰ると車のない両親宅ではこれが唯一の足となる。私は、小学校1年のときから26インチの自転車に乗っていた。足は短かったが、背が高かったのだ。

「飴屋の自転車みたいだって言われたよ。」と父が我が家の自転車の話をした。その26インチの自転車のことだ。昔は自転車で飴を売り歩いている飴屋という職業があったらしい。おでん屋、紙芝居屋、焼き芋屋、アイスキャンディー屋、金魚屋、包丁砥ぎ屋、豆腐屋、竿竹屋なんかは分かるが、飴屋は知らなかった。確かに、ぶち壊したら戦車でも作れそうな、大きくて頑丈な自転車だったから、飴でも何でも積んで運べる。

子供の時から考えてみると、我が家にもいつも何台かの自転車があった。8段ギアーのサイクリング車を買ってもらったときは本当に嬉しかった。でもギアーチェンジのバーの鋳物の質が悪く、すぐ折れてしまったりして慌てさせられた。チェーンもよく外れた。

85歳になる父は足を悪くしてもう自転車には乗れない。数年前に購入した自転車は乗り手がいない。今では、帰国時に私が乗っている。

「お父さんったらね、スーパーで知らない人に話かけてね、これは7万円もする自転車だって言ったらしいの。」あるとき、帰国したら母がそう言い出した。まだ父が自転車で買い物に行っていた頃だった。
「何も、そんなことまで言わなくてもいいのにね。そうしたらね、その人『あら、そうですか。私のは15万でしたよ。』って言ったんだって。だから言わんこっちゃないのよ。まったくね。」

父はそれ以来、自転車の価格の話はしなくなったという。一昨年、両親がそれぞれ入院したときには、私の帰国時この7万円の自転車が大いに活躍してくれて有難かった。次の私の帰国は、来年の2月になりそうだが、またこの自転車の厄介になる。





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Last updated  2008年12月02日 13時45分07秒
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