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テーマ:海外生活(7775)
カテゴリ:問題提起
シカゴの街に1人で出かけた。1974年の6月のことだった。前の年、日本で親しくなった4つ年上のジュディーに会うためだった。電車で街に出ると、日本の街では嗅いだことのない匂いがしてくる。甘い葉巻やタバコのような匂いとでもいうのだろうか。これがアメリカの匂いかと思った。
インドのニューデリーに降り立ったときには、炭などを燃やしているような匂いがしてきた。アンバー色の薄暗い電灯の光に包まれて、あっという間に体全体を覆ってしまう。 日本では、中学3年の夏に練馬から友人の加藤と二人で利根川までサイクリングしたとき、川を渡って急に醤油の匂いに襲われたことがあった。野田だった。 シンガポールのチャイナタウン、リトルインディア、マレーシアのジョホールバルなどでは、魚、肉、野菜などの単純な匂いが織りなす濃い匂いがして、それはあたかも何かの死臭のような匂いとさえ言えてしまいそうだった。そこには、人の生活の匂いが遠慮なくする。ある意味では動物的であり、ある意味では生命の証しのような。 日本は限られた所しかしらないので当たっているかどうかは定かではないが、日本はどんどん無色、無臭の国に向かっているような気がする。人間の中性化、透明化だろうか。 今回シンガポールに行く前に、オーストラリ以外の国で最後に行ったのは1986年のニュージーランドだった。これから、機会があればアジアの別の国々など歩きまわって、いろいろな匂いを体感してみたい。 シンガポール、チャイナタウンの菜食主義的料理屋さん 毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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