カテゴリ:歴史について
1945年8月15日にポツダム宣言を受け入れて敗戦となった。日本もドイツと同じように連合国から分割統治する案が出された。
日本の分割統治計画 (hns.gr.jp) この案に猛烈に反対したのが蒋介石なのである。日本の敗戦後から2ヶ月のちに毛沢東率いる中国共産党との内戦状態になり、日本との戦争で疲弊した国民党軍は迷走を続け台湾へと追いやられた。また日本軍の残した兵器が中国共産党軍に接収されたことも大きい。また米英とも日本・ドイツとの戦闘で最早国民党軍を支援する余裕がなかったことと。戦後の統治について暗中模索状態だったと窺える。 日本の分割統治は天皇制の廃止を意味する。日本への留学経験がある蒋介石にとって日本国の歴史と天皇制について充分な理解があったと思う。また北海道・東北がソ連領となったら、共産主義の脅威と隣り合わせということにもなる。蒋介石から見ればソ連の対日参戦は1945年の8月9日でもっとも終戦間近なのにも関わらず北海道・東北の統治ふざけるなという思いもあったと思う。 蒋介石はソ連による分割統治だけは絶対に認めないとの思いだったのだろうと推測する。そして日本の統治はGHQの管理下におかれたわけだ。スターリンは北海道を二分割して併合することを諦めなかったが、トルーマンが強硬に反対した。 「スターリンの野望」北海道占領を阻止した男 : 読売新聞 (yomiuri.co.jp) 蒋介石が分割統治案に賛成したなら、恐らく北海道・東北に住む日本人は強制移住させられていたかもしれないし、朝鮮半島のように分断国家となっていたとも思う。 南京虐殺があったならば、蒋介石は四国を中華民国領として組み入れたと思う。蒋介石はいち早く戦後賠償を放棄している。私はこのことからも南京大虐殺は日本の左派が火をつけ中国共産党によってでっちあげられたことだろうと思う。 蒋介石と根本博陸軍中将の友情 「蒋介石が感謝と友情の証として根本博へ贈った花瓶の秘話」に感動した。蒋介石と根本博は真の漢だね! 根本博は戦後の日本と台湾の救世主の一人で、大和魂を持った本当のラストサムライ! (amazon.co.jp) 台湾が今も尚親日国なのは、こういった背景があるのだと思う。もしウクライナが負けロシアの施政下に入ったら、次は北海道を狙ってくることは至極当然のことだと思う。日本の取るべき道は憲法9条を改正して普通の国になることだ。蒋介石には人情があったが、プーチンにはないのだ。 ベルリン陥落 1945 - Wikipedia あの地獄を忘れられない…満州で「性接待」を命じられた女たちの嘆き(平井 美帆) | 現代ビジネス | 講談社(1/4) (gendai.media) 【戦後70年〜昭和20年夏(7)】樺太に残された日本人女性 ソ連兵の恐怖に震え…過酷な日々、帰国信じ半世紀(1/3ページ) - 産経ニュース (sankei.com) 真岡郵便電信局事件 - Wikipedia 彼女達は靖国神社に合祀されました。 恐らくウクライナでもロシア兵による性被害があると思う。恐らくロシアに併合されたら故郷を追われ強制移住させられるのだろう。 台湾出身 欧陽菲菲さん、ラブイズオーバー 切ないけどいい歌です。 あいち交通死をなくすボランティアにじいろ会|さえりん♥ストラップ (aichinijiirokai.wixsite.com) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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