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< 盛岡の三泣き >という、言い伝えがあります。
これは、首都圏からの単身赴任者は、まず身震いするような寒さに泣き、方言への 戸惑いに都への想いを募らせ泣き、そんな中で在任中随所で触れ合う、岩手の人々の 優しさに、涙するということ。
盛岡駅から市内に入るには、北上川にかかるこの開運橋を渡ります。 ここも、< 二度泣き橋 >と呼ばれています。
最初に盛岡駅に降り立ち、駅前の橋を渡るときに、こんな僻地に飛ばされたと淋しくて 泣き、再び転勤で盛岡を離れるときに、熱い人情と自然にあふれる盛岡をはなれると 悲しくて泣くという、転勤族の気持ちを表していると。
確かに、盛岡を離任する際は、まさに両方とも的を得たものだと、しみじみ感じ ました。しかし、上司の出世の捨て駒として、盛岡に飛ばされた当時は、 失意のどん底に皇子はあったのです。
東北の地など、皇子は赴任前まで足を踏み入れたことがなく、小学校の教科書で ならった岩手県は、確か< 日本のチベット >と称せられていたから。 岩手在のブロ友さんもおられるので、差別用語としての文句は、文科省に言って おくんなまし・・
僻地に一人向かった、皇子の心は暗く沈み・・ く~~~~~~~、淋しすぎる。 しょんぼりのしょんぼり。
盛岡支店は、支店長と代理の皇子、そして支店長車の運転手、事務職の女性が 3名、総計6名の体制でした。まず驚いたのが、客からかかってきた電話の内容が全く わからん。要するに、東北弁が理解出来ない。赴任当初は、事務員に電話をとって もらって、通訳をお願いする日々。
皇子は資材本部出身ですが、兵隊さんが私一人しかいないわけですから、金属・機械・ 燃料・化学品などなど、全ての部門の取引を担当しなければならなかったのです。 客先廻りをした最初の頃、取引先の専務さんから、こういわれました。
( あのな、悠愛さん。そんな話の進め方は、都会のビジネス のやりかたであって、岩手では通用しませんよ。) ( えっ??? ) ( まずね、天候の挨拶から。例えば、今日はしばれます ねえ~~・・・ その後、趣味の話や時事放談。つまり、ゴルフの話や 選挙の話だす。仕事のことなんか、最後の5分でいいで がんす。)
要は、とりとめのない話の中で、商売の話をちょっことするのが、地方のビジネス・ マナーだというのです。こんなこと都会でやったら、
( それで、なんの用なのですか? 私は、忙しいので そんな無駄話に、付き合う暇などおまへん。 )
と、けんもほろろに追い出されてしまうのがおち。
< 国内取引の真髄 >を教えられ、それからは取引先の方の趣味や好きな 話題から、まず入ることとしました。それには、自分の引き出しを多くもっていなければ ならず、政治・音楽・スポーツ・文学・絵画など多趣味の皇子は、どんな方の話題 にもついていける、自信はありましたが。
こんな形で、初めての国内取引に手を染めた皇子ですが、
< このままでは、絶対に終わらへんでえ~~!! 今にみておれ、東京のやつら。 >
と固く心に誓い、この屈辱をそそぐべく奮闘の日々が、始まったのでした。
盛岡支店でのこの国内取引経験が、皇子を人間的にひとまわりも、ふたまわりも大きく 成長させました。そしてやがて、大輪の花を開かせることになるとは、この時点では 誰もわかりませんでした。
東北在勤通算17年という、長きに亘った刑期を終えて、東京に戻った時 小中のクラス会に半世紀ぶりに、出席したのでした。 その時、逢うクラスメートが口々に言ったのは、 ( 悠愛は人が変わったみたい。昔は、本当に鼻持ちならぬ、 嫌な奴だったけど・・ でも、ち~~と、変わり過ぎたんじゃな~~~い?! ) == つづく ==
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