■ 東京大衆歌謡楽団(とうきょう たいしゅう かよう がくだん) 東京ブルースカイ、ハモニカバンド。 浅草神社 夏詣 奉納演奏。 戦前、戦後の、名曲を、まとめて、再現。
■ 東京大衆歌謡楽団 東京ブルースカイ、ハモニカバンド、 令和三年七月五日 浅草神社 夏詣 奉納演奏 最近、ライブバンドなどで、昭和の曲を、再現しているバンドが、幾つか有る。 しかし、それ以前の、戦前、戦後と呼ばれる時代の曲、あるいは、大正ロマンと言われた時代の曲や、明治時代の曲は、あまり、再現されていない。 明治時代や、大正時代には、TVも、ラジオも無かったので、歌謡曲も、ほとんど、無かったのではないか、と思われる。 従って、「東京大衆歌謡楽団」(とうきょう たいしゅう かよう がくだん)が、歌っている曲は、戦前、戦後に流行った、曲なのだろう。 また、歌い手の、スタイルは、東海林太郎(しょうじ たろう)を、イメージしている、と思われる。 動画は、「浅草神社」に、奉納する為に、演奏している所を、撮影したものである。 普通は、「浅草寺」、と言うのが、耳慣れた言葉であるが、同じ境内に、「浅草神社」、と言うものも、在ったのである。 また、この浅草は、江戸時代から、戦前までの、庶民文化の中心地であった。 私の祖父は、浅草の、顔役であった。 しかし、それは、江戸時代からでは無く、明治維新後からである。 明治維新の後に、絹織物の価格が、暴落し、生活に、困窮した人間が、大量に発生した。 これは、ロスチャイルドによる、絹織物の、価格操作の為と思われるが、生活に困窮した者達は、困民党を結成し、政府に、抗議した。 これが、暴動に発展し、新政府を、作ろうとした人々が、総理を、選出し、政府軍と戦ったが、鎮圧された、と言う事件があった。 これが、「秩父事件」と言われるものであるが、 私の、「(親等的に)4代前の先祖(高祖父)」も、それに、巻き込まれ、切腹し、自分の子供たちを、他家に、逃がした。 うちは、将軍直轄領の、代官でもあり、また、大河ドラマに出て来た、天然理心流の、「真田(小峰)範之助」の、親戚筋である事は、間違いない、と確信しているが、(私の、先祖である、可能性すらある。) そう言う素性からも、金融詐欺に加担する、明治政府のやり方が、許せなかったのだろう。 そこで、領地の、甲源一刀流の、門弟、3000人が、立ち上がった、と考えられる。 そうでなければ、新政府の、幹部にも、名を連ねてもいない、「4代前の先祖」が、切腹など、するわけが無いのである。■ おうちで観光バス【東京】バスガイドによる浅草寺下車案内 この件に関しては、改めて、記事にするつもりだが、 その息子である、「曾祖父」(ひいおじいちゃん)は、親戚の家の、養子となり、名前も、その家のもの、となったが、しかし、家や、田畑も、差し押さえられて、財産を失い、非常に、苦しい生活を強いられた。 その息子である、祖父は、東京の、浅草に、出てきたのである。 そこで、何か、仕事は、無いか、探したのだろう。 うちは、江戸時代の、新興宗教「御嶽講」と、関係あり、その御嶽講の信者には、材木商が、多かったのである。 そんな事で、材木商を、頼ったのかもしれない。 何しろ、「御嶽講」は、うちの先祖が、継承していたので、縁が深かったのである。 しかし、それも、つかの間、東京を、地震が襲った。 「関東大震災」である。 東京は、たちまち、廃墟と化した。 祖父は、まだ、20代の若さであったが、おそらく、材木商に、働きかけ、東京の、復興に、尽力したのであろう。 吉原などの遊女も、焼け死に、あわれな姿をさらした様だ。 永井荷風などの、小説にも、出て来た様である。 祖父は、浅草の復興にも、関わっていたので、吉原の、身代を、受け継ぐ事になり、浅草の、芸能人なども、世話をした、と言っていた。 こう言う経緯で、浅草の、顔役(町長?)になったのだろうが、「秩父事件」で、共に戦った、自由党との関係もあり、早稲田の、「大隈重信」の土地を、持っていたらしいのだ。 そんな、事から、資産も、築いたようだが、再び、災難が、東京を襲う。 「東京大空襲」である。 祖父は、再び、秩父へ、疎開する事になる。 ■ 4K 伝法院庭園 浅草 Denbo-in Garden Asakusa Tokyo JAPAN 「伝法院」は、私も、行った事がある。 ただ、中には、入れなかった。 入り口から、中を、のぞくだけであったが、しかし、見ただけで、一瞬、これは、最も、優れた庭園である、と思った。 私は、多くの庭園を、まわっているが、この庭園は、新宿御苑の、次位に、凄いと、思った。 「新宿御苑」の場合は、大きいし、日本最初の、西洋庭園が、素晴らしい。 日本庭園だけならば、どうだろうか? 私も、伝法院が、こんなに、大きいとは、知らなかった。 玄関の、ほんの、入り口に、庭が、あるのだと思っていたが、そうでは無かったのである。 では、どうして、そんな、わずかな、スペースの庭を見て、そう思ったか? それは、おそらく、庭師の、剪定の、芸術性に、あったと思われる。 今は、どうか、知らないが、私が、行った時は、素晴らしかったのである。 ちなみに、この庭園を、造ったのは、小堀遠州である。 彼は、日本全国で、造園を、手がけていた様である。カイブツたちを退治せよ!世界怪物大作戦Q 世直しYouTuber JOSTARが闇を迎え撃つ [ JOSTAR ]楽天で購入 みんなの、救世主フンドシ! フンドシは、日本文化の、救世主だ。 あなたも、救世主になれる。 女性の方も、どうぞ。