■ 魏志倭人伝。 吉野ヶ里遺跡が、伊都国の中心であった。 ヤマトタケル命に、熊襲の討伐と、狗奴国にある、トンカラリンと言う奇妙な遺跡。
■ ハイビジョン特集 奇跡の山 富士山 (1) 魏志倭人伝は、距離に対する表記にしても、非常に正確で、詳しい、記述であった。 普通、「魏志倭人伝の、距離的な表現は、どこかが、間違っていて、邪馬台国が何処にあるのか、分からない。」と、言われます。 所が、よく調べたら、非常に正確に表現されている事が分かります。 当時の中国の、一里は、何メートルか、と言うものに議論が行き、堂々巡りの議論になりますが、それは、非常に、簡単に、解決できるのです。 つまり、当時の一里が、何メートルであった、と言う絶対的な、固定的数値を当てはめるのではなく、相対的な、距離と言う考えに基づいて、計算すれば、問題は、解決します。 「里」が何メートルか、と言うのは、記述から、逆算するのです。 すると、7000里=560km、となります。 それから、 「一里」=80m、と言う数値が導き出されます。 つまり、魏志倭人伝に登場する、一里は、80メートルと考えられる訳です。(2)魏志倭人伝に書かれた、北部九州の諸国。 吉野ヶ里遺跡が、伊都国の中心であった。■ 対馬国、一大国 これは、壱岐、対馬でしょう。■ 末廬国 唐津付近に、松浦川と言う川が流れておりますが、ここが、末廬国である事は、誰も疑う人はおりません。■ 伊都国 吉野ヶ里遺跡が、伊都国の中心。■ 奴国 奴国と言うのは、魏志倭人伝によれば、「女王の境界が尽きる所」であり、つまり、卑弥呼の支配が及ぶ、西の端の地域と言う事になります。 この様な記述から、邪馬台国は、日本の首都がある地方自治体であり、奴国は、現代の福岡県の様な、地方自治体であった、と言う事が分かると思います。■ 狗奴国 熊本を中心とした地域。■ 不弥国 かつて、現在の大分に、邪馬台国が在ったのですが、神武の時、関西に移転しました。 その後、景行天皇が、大分と名付けましたが、漢字読みにした場合、「文国」を当てても意味が通じます。 その「文国」は、「フミコク」とも呼べますので、それが、「不弥国」と翻訳されたのだと思います。「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立」 これは、平安時代の歌人、小式部内侍(こしきぶ の ないし)の歌ですが、「まだ、ふみもみずが、掛詞になっております。 「まだ、文も見ず、」と、「まだ、踏みも見ず」です。 「不弥国」も、これと同じ様なものであったと思われます。 つまり、日本では「大分」と表現されていても、外国では「不弥国」と呼ばれていたのではないか、と言う事なのです。 「日御子」にしても、「卑弥呼」などと言う、全然、別な意味の漢字が用いられております。 外人には、日本で使われている漢字の事は分からないので、水先案内人などの発音を基に、漢字を当てたのだと思います。■ 2523【05】They were not Humans, King Tuts Familiesツタンカーメン王とその家族+彼らは人間ではなかったby Hiroshi Hayashi, Japan(3)狗奴国、それは、人食いの長頭人間が支配する領域だった。トンカラリンと言う遺跡の付近から、長頭人間の骨が発見された。 この狗奴国は、「奴国」の南であると言う記述から、熊本である、と言うのが、一般的な見解です。 地域については、私も他の研究者と同じ見解なのですが、私の説が、他の研究者と違うのは、ここを支配していたのが、我々が知る人類ではなかった、と言う事です。 熊本の菊池に、トンカラリンと言う、正体不明の遺跡がありますが、その周辺から、長頭人間と呼ばれる、人骨が発見されたのです。 これは、エジプトの、ツタンカーメン王のミラと同じタイプの人種であり、遺伝子鑑定の結果、地球外生命体と思われる、と言う結論が出されているのです。 彼らは、足が異常に細く、地球の重力に耐えられ無い様な、身体構造となっております。 彼らは、人間を食糧としていたと言う説があります。 これに対して、魏志倭人伝には、日本人は、肉を食べないと記されております。 日本食の基本が、「大国・夷」(ダイコク・エビス)で、象徴される様に、穀物と、海産物だったのです。 実は、こう言う人食いの怪物から、人間を守る為に、太陽神の孫である、ニニギ命が、はるか、彼方の惑星から、ワープ(天孫降臨・てんそんこうりん)してきたのではないかと思われます。 これは、日本書紀の神武記に書かれている事なので、原文を見て確認してみて下さい。 では、どこの惑星から、地球にやって来たのか? 原文では、天孫から4代目の、神武が基準になっておりますので、神武からみて、179万2470光年、彼方の惑星から来た、と言う事になります。 それ故、神武は、179万2470才、あるいは、179万2470年過去から来た、と言う表現になってるのです。 ------- ムー大陸の沈没で、人類は、絶滅の危機にさらされましたが、富士文明から、伏儀(フクギ)が、中国へ赴きますが(徐福の文書による。)、私は、他の生物から、遺伝子操作で、人間を作ったのではないかと考えております。 それが、聖書で言われる、「人間は、神を象って作られた。」と言う事だったのです。 つまり、聖書は、正しかったのです。 ただ、土から作られた人間も居たと思いますが、他の動物から、人間を生み出す方が、手っ取り早かったのだろうと思います。 それ故、そう言う方法で人間になった人々は、動物の本能が残っており、人食いを平気でやったりします。 その神々と言うのは、太陽神の系譜であり、沈んだ、ムー大陸も、ラ・ムーと言う太陽神にちなんだ名前だったのです。 ちなみに、ムー大陸の人口は、6400万人と言う事で、人口まで明らかになっている様です。 太陽神と言えば、日本語では、アマテラスであり、天孫ニニギは、その孫にあたります。 キリストが伝えたかったのは、この天孫降臨の事だったのではないかと思われます。 太陽神は、この太陽系銀河を形作る程の、科学力を持っていますので、ワープや、テレポート技術程度のものは、あたりまえの科学技術でしょう。 日本人は、その子孫であり、地球の重力に合う様に作られている訳です。 あるいは、その逆に、天孫族に、合わせて地球が形作られたのかもしれません。 天孫族の系譜は、今の、地球環境を作った一族であり、他の宇宙人の様に、地球に寄生している生命体ではないからです。(4)ヤマトタケル命、熊襲建(クマソタケル)を討ち取る。 景行天皇は、ヤマトタケル命に、熊襲の討伐を命じます。 ヤマトタケル命は、わずかの手勢を連れて、熊襲に入り、支配者である、熊襲建(クマソタケル)を討ち取りますが、なぜ、それが、可能だったのか? それは、熊襲建が、長頭人間と呼ばれる宇宙人であり、数が少なかった事と、地球の重力が強すぎて、動きが素早くなかったからだと思います。 ヤマトタケル命は、短刀を忍ばせ、女装して、熊襲武に近づきますが、熊襲建を、簡単に、討ち取ってしまいます。 しかしながら、その後、ヤマトタケル命は、何事も無く、無事に熊襲を脱出していますが、なぜ、それが、可能だったのでしょうか? それは、民衆の支持があったのと、敵の幹部である、長頭人間の数が、少なかった為であると考えられます。「あなたは、ヤマトの方ですね。 あの人食いヤロウの怪物を、よくぞ、討ち取ってくれました。 逃げ道は、こちらです。」 スサノオ命が、ヤマタノオロチを討ち取った時も、人食いレプタリアン(爬虫類人間)から、人間を守るために戦っておりますし、神武天皇は、人食いの、土蜘蛛を退治しております。 こう言う話を総合しますと、スサノオ命にしても、天孫ニニギ命にしても、地球に、人間中心の、世界を作る為に降臨したのではないかと思われます。 ちなみに、ヤマトタケル命は、それまで、小碓命(おうすのみこと)と言っておりましたが、熊襲建(クマソタケル)の、遺言で、「ヤマト建(タケル)」と、名乗ってくれ、と言われます。 小碓命は、これより倭建命(ヤマトタケル)と名乗ることになたのです。 このヤマトタケル命の息子が、仲哀天皇で、その皇后が、神功皇后です。 二人は、三韓征伐の為に、九州まで、やって来ましたが、仲哀天皇は、熊襲に攻撃を受け、亡くなったと言われております。 --- 次回に続く ---■ 韓国遺伝子調査で韓国人の驚愕の御先祖様が暴露される事態に韓国教授のとんでもない妄想が 題に