■ 前方後円墳について、二つの説を紹介し、私の説を述べる。 前方後円墳は、水田の残土で作られた、天文観測装置で、その形は、三種の神器の、八咫鏡を象ったものであった。
この、「歴史学の論客達」では、歴史に興味深い説を述べている論客達の動画を、紹介して行きます。 私は、ここでは、解説者、あるいは、コメンテーターとして、その概要や、感想や、私の見解などを述べて行きます。 今日は、「前方後円墳は、墓では無かった。」と言う説と、「前方後円墳は、縄文・天文観測所であった。」と言う説を紹介し、私の見解を述べて行きます。(1)「前方後円墳、水田の残土」説。小名木善行 氏(2)「前方後円墳、天文観測所」説。はやし浩司 氏(3)私の見解。 前方後円墳は、八咫鏡(やたのかがみ)を象って作られた。 そして、前方部は、「ツキヨミ」の棺、堀は、海を支配する「スサノオ」。 堀の、輝きは、八咫鏡を、代行するものである。 全体として、三神山の、伊豆半島にも、見える。(1)「前方後円墳は、墓ではなく、水田を作った時に出る残土であった。」と言う、小名木善行氏の説。■ 古墳時代という嘘 〜実は墓ではなかった!?〜【CGS 日本の歴史 2-3】 水田作りの時、残土がでますが、その残土で、古墳と呼ばれるものを作ったと言う説です。 それ故、全国に水田が普及した時点で、残土は、当然、なくなりますので、一般に「古墳時代」と呼ばれている時代は終わった、と言う理論を述べております。 また、朝鮮半島の水田は、5世紀に、日本から、伝わったものですが、それと同時期に、朝鮮半島に、前方後円墳が出現します。 となると、やはり、水田を開発した残土が、古墳として利用された可能性が最も高く、小名木善行 氏の考えが裏付けられた様な感じになりますね。■ 「稲」は日本から朝鮮に伝わった(2)前方後円墳は、縄文の、天文観測所だった。これは、林浩司(はやしひろし) 氏の説です。 ■ 2190(4)Jomon Observatory前方後円墳・縄文・天文観測所説byはやし浩司Hiroshi Hayashi, Japan これは、前方後円墳そのものに関する分析です。 はやし浩司氏は、「前方後円墳は、天文観測所である。」と言う説を述べております。(3)私の見解。 これらの説に加え、前方後円墳の形は、銅鏡をモチーフにしたものである。 前方後円墳は、水田の残土である、と言うのは、すごい発見だと思いますし、また、前方後円墳は、天文観測所である、と言う説も、十分、納得できます。 これからが、私の説となります。 小名木氏の説では、前方後円墳の形に関する分析は、この動画を観る限りにおいては、成されておりません。 前方後円墳の形は、一見、カギ穴にも見えますが、あるいは、そうかも知れません。 この形に関しては、他にも、色々な説があります。 その中に、「手鏡」を象った、と言うものがあります。 私も、そう思って調べていたのですが、どうも、手鏡は、江戸時代位のものしか、ネットでは、発見できませんでした。 古墳時代には、手鏡は無かったのかも知れませんね。 そこで、私は、前方後円墳の形は、銅鏡と、台座と解釈しました。■ 神鏡 白銅鏡+特上彫り雲形台 1尺 鏡台B 前方後円墳が、もし、天文観測所であるとすれば、太陽の光を観測する為の物、と言う事になりますが、しかし、それだけでしょうか? なぜ、前方後円墳が、あの様な形になっているのか? 確かに、「前方後円墳が、食糧生産の為の、天文観測所」と言うのは、素晴らしい発見ですが、しかし、その形に、何か、他の意味が、込められているのではないか? 単に天文観測所でしたら、別の形でもいいはずです。 一目で、意味ありげな形である事が分かります。 ここで、基本に戻って、考えてみます。 古墳に埋葬されている天皇家の人々は、天を照らす、太陽神の子孫なのです。 つまり、太陽の光と、最も関係しているのは、天皇家の人々自身なのです。 その天皇家には、三種の神器と言うものがあり、魂や、胎児を象ったマガタマ、光通信ができる銅鏡、レプタリアンを退治した時の戦利品である、剣が有ります。 このうち、光と関係があるのは、銅鏡です。 つまり、三種の神器の、八咫鏡(やたのかがみ)を、太陽に向けた形で、前方後円墳をデザインしたのではないでしょうか? そして、さらに、ご神体として、天皇の亡骸を、納めたのではないか。 これを、墓や、天文観測所と解釈するか、あるいは、太陽である、天照大神(あまてらす、おおみかみ)の光を呼び込む為の、宗教的システム、と解釈するか・・・。 そもそも、墓の定義は何か? 昔は、復活する為に墓を作ったのかも知れません。しかし、今は、そんな人は少ないと思います。 少し、連想してみます。自由な連想です。 葬る、ほうむる。 ホーム留。家に留める。家巣、イエス。 富士山頂の、雪が積もった部分、それが、八十島(やそしま)。ヤソは、イエス。 耶蘇教(やそきょう)は、キリスト教。 邪馬台国? 耶馬溪。 太陽に一番近い所、富士の十合目。「十」は、英語で、Ten。「天」も、テン。十字架。 復活。 稲が、毎年みのるのも、復活。 蘇我氏も、「我、蘇り」で復活、仙人。 他民族は、こう言う名前はつけませんね。 始皇帝が徐福を遣わした、三神山。 Sun 神山。 アマテラス、ツキヨミ、スサノオ。 不老不死、復活、兵馬俑。 以前、前方後円墳の形を、「伊豆半島の形の上に、円形の富士と、四角い箱根、を配置した形」と解釈した事があります。 そちらの説を、もう少し、詳しく述べますと、後円部が、アマテラス太陽神の、復活の山、富士山(えいしゅう山)、前方部が、ツキヨミの支配する、根の国の、箱根山(方丈山・棺桶)、そして、周囲の堀が、現世と海の支配者、スサノオと解釈しました。 前方後円墳には、実際に遺体が安置されているので、その場所が、方丈山(根の国)と考えれば、この解釈も成り立つと思います。 しかし、実際には、後円部に遺体はある様ですね。 その場合は、遺体を再生、復活させたい、と言う考えをもとに、デザインされた、と考えられます。 さて、日本語には、掛詞(かけことば)がありますが、古墳一つとっても、掛詞的に、複数の意味が込められているのかも知れませんね。 さらに、連想を続けます・・・。 鏡に映る、うつろう、移り変わる、世代が移り変わる。 ほうじょう、方丈、北条氏、豊穣(穀物がよく実る)、豊饒(土地がよく肥える)。 根の国、根から植物の芽が生える。再生の真理。 富士は、孕み山(はらみやま、火山)、女性も孕む、後円部は、子宮を象ったもの。 「墓」と、「草」は、よく似た文字。 原っぱ、野原、孕み、腹いっぱい、晴れ、腫れ、語源は同じ。 アマテラスに、命(みこと、身事)を受けた天皇も、その身の事切れ、その、言の葉も途切れ、死して再び、母体に戻り、稲の様に、再生を願う。 これが、前方後円墳に込められた、真の、思いであり、心であり、和の心であり、単なる、天文観測装置と言う、テクノロジーだけの構造物ではないのでしょう・・・。 この奥深い考えが、古墳と言う、奥津城(おくつき)にあるのだと思います。 そこには、哀愁に満ちた、はかない人生、墓無い人生ではなく、千代に、八千代に、永遠の命に対する、憧れがにじみ出ています。 秦の始皇帝は、不老不死薬、「八千代草」を求めて、徐福を日本の富士に送りましたが、その時には、失われて存在しませんでした。首都も、「葦原の中つ国」から、「大和」に移っておりましたし。 徐福は、日本の、オオヤマズミ神の子孫で、富士文明の復興を願っていましたが、そのオオヤマズミの拠点が、富士山の近くにある、大山だと思います。 確か猿田彦も、ここに居て、天孫降臨の時は、ここからニニギ命(みこと)を迎えに行ったと考えられます。 世界の言語は、日本から世界に散った・・・。 仏教は、ツキヨミ(方丈山の仙人)の教えが、日本に逆上陸したもの。