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このエントリは、昨年2月に書いたものの、あの自称法学者さんの出鱈目っぷりに付き合うのが馬鹿らしくなってお蔵入りさせていたものです。 今回、某所での暴れっぷりがあまりにも酷いので、これが一過性のものではないということを示す意味もあってアップすることにします。 従いまして、この(2007)シリーズ中の時制は全て2007年2月を基準にお読み下さい。 =================================== サンフランシスコ条約シリーズが奇妙な法学者(?)さんシリーズへと派生しましたが、結局、この法学者(?)さんは全ての問題に頬被りをなさると決めたようです。 ということで、ここで生じた論点を整理しておきます。 なお、本筋の「裁判と判決の間」については1月20日から24日にかけての拙ブログのエントリをご覧下さい。 これまでにも、サンフランシスコ条約11条の「裁判」は、本来「諸判決」と訳すべきところを誤訳したのだという主張をする人は沢山いました。 まあ「当初の答弁は判決だった」という、おそらくは議事録を読みもしないで、又聞きでデマの流布に加担する人々はおいておくとしても、本来「諸判決」と訳せばよかったのに、当時の外務省が誤訳をし、当時の国会議員が「諸判決」と「裁判」の違いを認識した上でなお「裁判」という訳を承認した、その全てが誤りだったというのであれば、それはそれで一理あると言えます。 本来連合国側が求めていたのは判決の受諾だけだったのに、当時の日本国民が勝手に裁判全体だと受け取って、自分で自分達を縛ってしまったのだというなら、連合国の本当の意図が明らかになることもないでしょうから、一つの説としては通用するでしょう。 でも、そういう人はほとんどいませんね。 だいたい皆さん、その責任を後の政府、もしくは当時の外務省になすりつけて、当時の国会で既にこの問題は議論され、「裁判」という訳が承認されたという事実に頬被りしています。 で、そこに挑戦したのがこの「法学者」(?)さんで、ここまでの課程で浮かび上がった主な論点は以下の通り。 1 judgmentの訳と法律用語としての悪意 2 裁判という言葉の意味する範囲 3 裁判管轄権 4 無権代理 5 悪意の遺棄 ------------------------------ 1 judgmentの訳と法律用語としての悪意 judgmentは根拠法(極東軍事裁判所条例)に忠実に訳せば「判決」となると堂々と言い切ったはよいものの、私がその根拠法で別の訳も使われていることを示したら、とたんにあやふやになったのはここまでのエントリに示した通り。 で、それに対応するために、judgmentが根拠法では別の意味でも使われていても、それは法律用語ではない、一方、サンフランシスコ条約のそれは法律用語であり、「判決」という訳にしかならないと主張、その「同一の例」として、民法の悪意(770条等のそれは「知っている」ではなく一般的な悪意であっても、民法上の概念は画定している)を繰り返し取り上げた。 -- はっきり言って言いがかりのレベルであると思います。何故なら、上の部分におけるjudgmentは、法律用語のjudgmentではありませんし、むしろ当該憲章が、意思決定の主権者たる「法廷」を「tribunal」、意思決定過程としての「裁判」を、「trial」というふうに、確定的な法律用語を使用して書いている以上、「judgment」をそれと混同の恐れのある訳語「裁判」と訳す事自体が、不可能であったという事です。Tribunalが行う、trialという一連の行為の中に含まれるjudgmentやsentenceが、施行細則と妥結法規(まあ、最広義で判決と解釈してもいいでしょう)で違っていては、法律関係が成り立ちません。 これと似た例を挙げるなら、例えば、「悪意」という言葉は、民法の世界では、一般的に「当該法律関係について知っている」という事を意味しており、「悪い意図をもっている」という意味ではありませんが、民法の条文の中には、817条1項のように、「悪意の遺棄」という言葉が出てきます。この場合、「悪意」とは、「悪い意図をもって」という意味でありますが、この事を取り上げて、民法全体における「善意」「悪意」という言葉自体の意味を当事者の判断に任せたり、他の部分についての意味を覆したりする事など、あろうはずもありません。論争になるのは「どの位知っていたか」であって、用語の意味自体が論争になる事はありません。 -- 17条は、sentenceとセットになっている以上、どう見ても法律用語であり、9条は「in its judgment」であり、これは「判決の時に」という訳がおかしいのではなくて、そもそもそういう訳が出来ない。強いて別の訳を試みるなら「判決の中で」の意味しかないでしょう。「裁判所の判断で」か「判決の中で」か、どちらを選ぶか考慮すれば、自ずと前者、即ち一般的な意味での使用でしか考えられないって事です。 何度も言いますけど、あなたは、「悪意の遺棄」という言葉と、民法上の他の「善意」「悪意」という言葉を「同じ言葉だから判断のしようが無いじゃないか」と言っているようなもの。 -- ところが、その例外的な悪意を説明する上で、それは「判例基準」があるとか、「法律学用語辞典」にそう書いてあるなどとおっしゃる。 -- この場合、「積極的な意思で夫婦(養子)との共同生活を行わない事」であり、その行為により当該関係を破壊するかもしれないという害意が必要、というのが判例基準。(新潟地昭36・4・24民集12参照) -- 三省堂法律学用語辞典「悪意」の項にも、こうあります。 -- じゃあ、それって『法律用語』じゃない。 つまり、法律用語として使われる言葉でも、意味は決して一つではないってこと。 つまり、サンフランシスコ条約のjudgmentが「判決」としか訳せないという主張をするには、この「悪意」は何の意味もないってことを、自ら主張してしまった。 そして、この件には頬被りした。 ------------------------------ 2 裁判という言葉の意味する範囲 これまで、当時の国会でも「裁判」と言われていたのに、それは「判決」だったというデマを鵜呑みにして、政府が見解を変えたなんて言う野田議員のような人は何人もいました。 でも、この法学者さんはそれが「裁判」でも同じだと言い出した。 何故なら、 -- 法律用語で言う手続法上の「裁判」とは「判決」「決定」「命令」を合わせた概念を指す(刑事訴訟法43条、44条等参照)ので、ここで言う「裁判」とは、裁判所の権限で行われる、法律関係を生ぜしめる効果宣告を意味します。 -- 「裁判」でも同じ事。裁判とは訴訟法上「判決、決定、命令」の総体事であるから、審理手続とは別物。 -- なのだから、たとえ答弁で「裁判」と答えても、言っていることは「判決」と同じだと。 そして、 -- 案の定「裁判」を判旨や論理構成まで、全て包括した概念であると解する連中が出てきました。 -- こういった「判旨や論理構成」まで含むと解する者を否定していたのです。 ところが自分は刑事訴訟法43、44条を挙げておきながら、45条に書かれていることは当初無視。 刑事訴訟法45条 「判決以外の裁判は、判事補が一人でこれをすることができる。」 で、繰り返し指摘されたら、今度は -- 裁判とは、判決・決定・命令の総体の事じゃん。ああ、判決+決定+命令=裁判だと思ってたんですか、まあ、確かに「総体」では、そう取られかねませんな、以前には「包括的概念」と言っていたと思いますんで、そっちの方がいいかな -- 「効果宣告」に全部含まれるじゃん。「効果」ではなく、「宣告」の方にね。効果に到った趣旨説明や事実認定は、当然「宣告」に含まれる。 -- と言い出した。 自分も「全て包括した概念であると解する連中」と全く同じことを言い出した。 で、あるなら、当時の国会で「裁判」と答弁されていたのは「判決」とは全く意味が違う。それこそ事実認定も含んでいるという認識だったってことになる。 どうみても自己否定にしかなっていません。 そして、この件も頬被りした。 ------------------------------ 3 裁判管轄権 当時の国会で西村局長などは、明らかに「裁判」を受諾すると説明しています。 そして、それが「裁判」と「判決」ではどう違うのかという議論もなされ、それを踏まえて「裁判」を受諾することが承認されたわけです。 ところがこの法学者(?)さんは、それは裁判管轄権を認めただけだとおっしゃる。 私は、そんなものはポツダム宣言受諾の時点で、その承認は終わっていると申したのですが、 -- 終わってません。裁判を行う事と、効果帰属を画定する事が成立してこそ、管轄権が画定する。 -- とおっしゃる。 で、裁判を行う事と、効果帰属を画定する事を承認しておいて、その過程での法理やら事実認定は承認しないなんて、そんな「キセル」みたいな裁判管轄権なんて概念があるの? と聞いてみた。 でも、その根拠を示すことからはお逃げになった。 そして、最大の問題点はそんなものサンフランシスコ条約のどこに書いてあるって言うの? ってこと。 西村局長はサンフランシスコ条約第11条の説明の中で「裁判」を受諾すると言っている。ならば、「judgments」が管轄権に該当するとしなければ話が通らない。そんな概念が「judgments」にあるのか、そもそもあなた方は「判決」と訳していたのではないのか、「判決」と「管轄権」では全く意味が違うではないか、と尋ねた。 すると、 -- 誰がサンフランシスコ条約に裁判管轄権の文字があるなんて言いました?裁判管轄権「について」言っていると、申し上げたはず。 -- とおっしゃる。 裁判管轄権の文字もないのに、何で西村局長は以下のようなことを言ったというのでしょう。 「第十一條は戰犯に関する規定でございます。この條約の規定は、日本は極東国際軍事裁判所その他連合国の軍事裁判所がなした裁判を受諾するということが一つであります。」 「従つてこの第十一條によつて、すでに連合国によつてなされた裁判を日本は承認する」 その文字もないのに、「この條約の規定は」だの「この第十一條によつて」、裁判管轄権を承認するんだなどとどうして言えるのでしょう。文字もないのに勝手にそんな解釈をしているなら、それこそ「誤訳」と呼ばれても仕方ないでしょうね。 で、この謎に答えることもせず、頬被りした。 ------------------------------ 続きます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年03月10日 07時00分14秒
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