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テーマ:戦争反対(1189)
カテゴリ:時事
今回のアフガニスタンにおける伊藤さんの殺害に際して、イラク人質事件の際に被害者とその家族をバッシングした人々は、「あの人たちと伊藤さんは違う」という論法でスルーされることに決めたように見受けられます。 その上で、イラク人質事件の被害者がバッシングされたのは当然という、ある意味セカンドレイプをする形になっていることにもどうやら気がついていないようで、こういうところの鈍感さがあのバッシングを生んだんだろうなと思う次第です。 さて、現在あの「バッシング」を改めて正当化しようとしている人々の主張を見ると、 1「彼らは伊藤さんのようなスキルを持たず、また実績も残していない」 2「イラク事件では家族が自衛隊を派遣した政府を批判したが、伊藤さんの家族はそんなことはしていない」 3「イラク事件の被害者が解放後にまたイラクに帰りたいと言ったのは傲慢」 といったところが主なポイントではないかと思われます。 しかし、これはそのように扱いに差をつける理由になるのでしょうか? ============================== 1は、誰でも経験を積んでスキルを身に付けるという当たり前の視点を持てば、こういう話は出てこないと思うのですが。 自分に何ができるかわからないが、まず現場を見てそれを把握しようと考えるのは真っ当なアプローチでしょう。 そして、もちろんスキルに応じて治安情報の把握のレベルも変わって来るでしょう。 だから、より高い持ち主は相対的に危険な場所に行っても危険の兆候を掴んで逃げることができる。 しかしながら、そこで予想以上に事態が悪化すれば、それが事故に繋がるのは、当人のスキルがどうであろうと余り関係ない。 結果として殺された、誘拐されたというのは、そこに見込み違いがあったということであって、どちらも不運であったということに変わりは無い。 それを一方はバッシングし、一方はある意味称賛するなどというのは、おかしな話だと私は思います。 ============================== 2は、そもそもの犯人の要求がそういうものであったのですから、それをもって家族をバッシングするなど、理不尽にも程があると私は思いますね。 誘拐犯人が自衛隊撤退を要求してきたなら、家族はそれを政府に求めるというのは当然の話でしょう。 家族が誘拐された者の解放にあらゆる手を尽くそうとするなんて当たり前の話です。 身代金が要求されたなら、少なくともそれを用意しようとするように、犯人が解放の条件に自衛隊の撤退を要求したなら、政府にそれを要求する。 それのどこがいけないというのでしょう。 そこで、自衛隊が派遣されたのは国益を考えてのことで、そんなことで撤退するわけには行かないというなら、それをちゃんと言えば良いだけのこと。 ところがあそこでバッシングをした人達は、自分達が「それはできない」という責任を負うことから逃げた。 自分達が「人質を見殺しにした」と言われたくないから、バッシングをすることで、家族にそれを言わせないようにしようとした。 それで家族が黙れば、結果として人質が殺されたとしても、人質を見捨てたのは家族だったということにできる。 そういう筋書きの上にあったのが、あのバッシングだったと私は考えています。 ですから今回、伊藤さんを拉致した犯人がああいった要求をして来たらどうなっていたでしょう。 残念ながら、伊藤さんは直後に殺されてしまった。 犯人はどうやら外国人を殺す事で外国人に恐怖を与えて追い出そうとしているようですが、これが例えばインド洋での給油を止めないとと人質を殺すぞ、という要求があったなら、やはりバッシングは起きていたであろうと私は思います。 ============================== 3も、状況を無視した暴論ですね。 人質の被害者が、今後もイラクに関わりたいという意志を示したのは、確か解放直後のインタビューでのことだったと思います。 その時、目の前には解放に尽力してくれたイラク人達がいた。 その人達の前で「もうイラクはこりごり」なんて言えるものですか。 たとえ本心はどうであれ、自分は今後もイラクの力になりたいと答えるのは最低限の礼儀というものでしょう。 そしてそこでそう表明した以上、あの人質達はそれを貫く必要があった。 日本に帰って来てから話を翻したりしたら、それこそ「日本人は二枚舌を使うのか」とイラク人に言われかねない。 そういう意味でも、あの人質の人達がとった態度は立派なものだったと私は思います。 今回の事件においても、中村医師は現地に残って会の活動を継続すると表明しています。 にもかかわらず、それを非難する声はほとんど聞かれない。 要はあのバッシングの理由は一時の感情によるものだったということです。 ============================== 結果として誘拐されたのですから、イラクで人質になった人々に落ち度があったと言われるのは致し方ない。 それは今回のぺシャワール会も同じで情勢判断に甘さがあったのは否めない。 でも、それに接する多くの日本人の態度が全く違っている。 結局あのバッシングは、安全地帯に身を置いて好き勝手なことを言っていた者が、いざ自分の言動に何らかの責任が生じようとした時に、自分達の寝覚めが悪くなりそうだと本能的に察知した人々がそれを人質の家族に押し付けようとした、そういう動機があってのものだった。だから、寝覚めが悪くなるおそれがなかった今回は何も起きなかったのだと、私は考えます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年08月31日 02時40分58秒
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