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テーマ:政治について(19785)
カテゴリ:時事
前エントリで、教科書検定が真っ当な検定意見を付けたことに、産経が噛み付いた一件を書きましたが、一昨日には、また同じ様な記事が産経に載りました。 今度のネタは国旗国歌の強制問題です。 -- 【from Editor】 おかしな教科書検定 2012.4.13 07:44 (1/2ページ)[from Editor] 何だかヘンである。来春から高校で使われる教科書検定が終わったのだが、日本史Aで大阪府などが進める教職員への国旗掲揚や国歌斉唱の義務づけを「強制」と表現した教科書が合格したのだ。 国旗国歌法を題材に取り上げたこの教科書は当初、「政府は、この法律によって国民に国旗掲揚、国歌斉唱などを強制するものではないことを国会審議で明らかにした。しかし現実はそうなっていない」と記述していた。これに検定意見がつき「しかし」以下の件が「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」と修正された。 自治体名を具体的に述べてはいない。しかし、これが橋下徹大阪市長率いる大阪維新の会の教育改革を指すことは容易に読み取れる。強制という言葉自体にネガティブな語感はない、と国は釈明しているがそうだろうか。かつて「徴用」という言葉がいつの間にか「強制連行」となり、独り歩きし、国益を損ねた。こうした出来事への反省はあるのだろうか。 それに「強制」という言葉は具体的にどういう意味なのだろう。実際の国会審議を見てみよう。 《国旗・国歌の指導は、国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけることを目的として行われ…児童生徒の内心にまで立ち入って強制するものではございません。あくまでも教育指導上の課題として行われる…どのような行為が強制することになるか…例えば長時間にわたって指導を繰り返すなど、児童生徒に精神的な苦痛を伴うような指導を行う、それから…、口をこじあけてまで歌わす、これは全く許されない。…児童生徒が例えば国歌を歌わないということのみを理由にいたしまして不利益な取り扱いをするなどということは…大変不適切なこと…でございます》(平成11年内閣委員会、有馬朗人文科相) 注意を促したいのは、国会で問題になったのはあくまで児童生徒への強制であって、指導する立場で法令順守の義務がある教職員ではないということである。国旗・国歌の指導意義や公務員の義務に触れずに教科書のこうした曖昧な言葉を認めるのは、明らかに問題だろう。国が定めた学習指導要領に基づく教育現場の実現に向けて自治体が取り組んでいるのに、教科書がこれを否定し、生徒のモノの見方をも縛るのでは、教育的配慮にも欠けていると思う。教科書検定の担当者は公教育の中身を左右する重要な作業としっかり認識して臨んでほしい。(社会部編集委員・安藤慶太) http://sankei.jp.msn.com/life/news/120413/edc12041307450000-n1.htm http://sankei.jp.msn.com/life/news/120413/edc12041307450000-n2.htm -- 職務命令を発して、従わなければ処分だぁと大騒ぎ。あれを「強制」と呼ばずして何を強制と言うのでしょう。 そして、この安藤という編集委員はあまりにも無知なのか、あるいは意図的に読者を騙そうとしているのか、こんなことを書いている。 『注意を促したいのは、国会で問題になったのはあくまで児童生徒への強制であって、指導する立場で法令順守の義務がある教職員ではないということである。』 でも、既に先日のエントリで紹介したように、当時の有馬文部大臣は、教職員に対してもちゃんと、強制はできないと答えています。 -- 「第145回国会 文教委員会 第16号 平成十一年八月四日(水曜日)」 有馬国務大臣 教育公務員として、あるいは教員として、地方公務員としての制約はございますね。ですから、その制約と、御自分の、教員一人一人が持っている内心の自由、今その両者の関係を御質問だと思うけれども、その人が仮に内心の自由で何かをしたくなかったときに、その人が最終的に内心の自由でしないということは、それはやむを得ないと思いますけれども、しかしながら、教育をする人間としての義務は果たさなければいけない、そういう問題が私はあると思うんですね。 ですから、その人に、本当に内心の自由で嫌だと言っていることを無理やりにする、口をこじあけてでもやるとかよく話がありますが、それは子供たちに対しても教えていませんし、例えば教員に対しても無理やりに口をこじあける、これは許されないと思う。 しかし、制約と申し上げているのは、内心の自由であることをしたくない教員が、ほかの人にも自分はこうだということを押しつけて、ほかの人にまでいろいろなことを干渉するということは許されないという意味で、合理的な範囲でということを申し上げております。 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/145/0007/14508040007016a.html -- 『それから…、口をこじあけてまで歌わす、これは全く許されない。…児童生徒が例えば国歌を歌わないということのみを理由にいたしまして不利益な取り扱いをするなどということは…大変不適切なこと…でございます』 自分は、有馬大臣のこの台詞を引用して、「問題になったのはあくまで児童生徒への強制」だったというのですから、 『本当に内心の自由で嫌だと言っていることを無理やりにする、口をこじあけてでもやるとかよく話がありますが、それは子供たちに対しても教えていませんし、例えば教員に対しても無理やりに口をこじあける、これは許されないと思う。』 同じ人がこの台詞を述べている以上、「歌わないということのみを理由にいたしまして不利益な取り扱いをするなどということは…大変不適切なこと」という結論が導かれるのは当然のこと。 そもそも、自分が引用したところに書かれていないということが、そういう事実が無いということを意味するものでもない、ただ恣意的な情報操作をしているだけって可能性は誰でも思いつく。 自分に都合の良いところだけ切り取って、読者を騙そうとしたって、それほど世の中甘く無い。今はネットってものがあって、誰でも簡単に議事録は確認できるんですから。 それにしても、この記事中で有馬大臣の発言を引用するのに「…」こんなものを沢山挟み込んでいるのは、どういうつもりなんでしょう。おそらく、発言にそんな「間」があった、即ちその答弁は歯切れの悪いものだったという印象を振りまきたいのでしょうね。でも、こんなものは明らかにこの筆者の主観。 こうやって、自分たちのイデオロギーを刷り込もうとする産経新聞。何とも姑息ですけど、これもまた産経らしいと申しましょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年04月15日 10時29分28秒
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