カテゴリ:政治・経済・社会・文化
クロニクル 米軍施政下の沖縄で反米暴動起きる 1970(昭和45)年12月20日 この日、米軍政下の沖縄はコザ市(現沖縄市)で、大規模な 反米暴動が起きました。暴動のきっかけは、この日午前1時過ぎに 市内の路上で起きた米陸軍医療隊員による交通事故でした。 隊員運転の車輛が市民をはねたのです。幸い怪我は軽傷で済んだのですが、 事故処理にかけつけた憲兵隊員が、怪我人をそのままにして加害者を 連れ去ろうとしたところから、事故を知ってかけつけた市民と対立する ところとなったのです。いかにも事故処理の仕方がまずかったのですね。 日頃から、米軍兵士の横暴に鬱屈した感情を持っていた市民の複雑な 感情が爆発したのは、自然の成行きだったと言えましょう。 応援要請を受けた憲兵隊は20人を派遣、群衆が投石すると威嚇射撃で 応戦したものですから溜まりません。市民に銃を向けるとは何事と、 激高した5千人に達する市民が、米軍車輛、嘉手納基地内の小学校・ 雇用事務所などに放火する騒ぎとなりました。 米軍は催涙ガス弾を使用し、双方合わせて約80人の負傷者を出し、 市民20人が逮捕・連行される騒ぎとなりました。 68年11月の、最初の主席公選で当選した、屋良朝苗主席は激しく 米軍に抗議し、参議院では、米兵犯罪に対する裁判権を日本側に 移管すべしとする決議が採択されるなど、沖縄を巡って日本国内の 反米感情は大きな高まりを見せ、本土復帰運動は最高潮に達したの でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.12.20 02:44:01
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