カテゴリ:政治・経済・社会・文化
クロニクル
1979(昭和54)年12月27日 この日、アフガニスタンで親ソ連派のクーダタ が発生、クーデタ派の要請を受けたとしてソ連軍 は直ちにアフガニスタンへの侵攻を開始しました。 アフガンでは、前年4月に親ソ派政権が誕生、 土地改革など社会主義寄りの政策をとったのですが、 これに不満を持つイスラム系勢力が反政府活動を続け、 この年9月に親ソ政権を打倒、民族主義色の濃い政府が 誕生していたのでした。それだけにこの日の親ソ派の クーデタは、ソ連の丸抱えによるものと推測されました。 イスラム系に多い民族主義諸勢力はジハード(聖戦)を 合言葉に山岳地帯でゲリラ戦を展開、圧倒的なソ連軍の 武力を、無力化してゆくことに、次第に成功して行きます。 10万人に及ぶ兵力を展開してなお、情勢の悪化を防げず、 消耗しきったソ連軍は、10年後、ゴルバチョフ政権の下で アフガンから撤退することになります。 当時「アフガンは、ソ連にとってのヴェトナムだった」と言われ、 ソ連社会主義崩壊の原因の一つに数えられています。 ところで、ソ連軍撤退後のアフガンでは、諸勢力の権力争いで 国内が混乱、血みどろの闘争が展開したのですが、この混乱を 収拾したのが、徹底的に汚職と腐敗を排除した イスラク原理主義勢力のタリバンでした。 タリバン政権にも問題はありますが、ソ連侵攻後、20年以上に 及んだ戦乱と社会的混乱を収拾し、アフガンに平和と民衆生活の 安定を齎し、庶民の支持を得ていた政府だったことは確かです。 9・11を理由にアメリカはこのタリバン政府を倒し、 再びアフガンを治安劣悪で安心して生活できない地にしてしまったのです。 日本では、カルザイ政権のプラス面のみが、誇張して伝えれて いますが、カルザイ政権の安定した支配領域は首都カブールと その近在のみの、限られた地域だけであることは、ほとんど 触れられることがないのが現実です。 米軍がイラクに釘付けとなり、現在のアフガンにはNATO軍が 展開しているのですが、来年以降、アフガン情勢にも動きが 出てくるような感じが、しないでもありません。 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@za.wakwak.com> Sent: Wednesday, December 27, 2006 9:47 AM Subject: 27日の日記 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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