カテゴリ:日本経済
バブルを考える(76)
後日談 一時国有化された長銀と日債銀のその後です。長銀は、一時国有化を経て、99年6月に、米系投資ファンドのリップルウッドに売却されました。日債銀もまた00年6月にソフトバンクなどの3社連合へ譲渡されました。 前者は新生銀行、後者があおぞら銀行となって、現在も営業しています。2つの銀行の処理に要した費用は、金銭贈与だけに限っても、長銀に3兆5899億円、日債銀に3兆2365億円もの公的資金がつぎ込まれました。 費用はとてつもなく膨大でした。そしてリップルウッドの買収価格は、僅か10億円でした。それでも、リップルウッドの向うを張って、より高い買収価格をつける国内の買い手は現れませんでした。それだけ、日本の金融界は傷んでいたのです。 国有化された長銀は、不良資産を債権回収機構に売却し、貸出し資産を11兆円に圧縮していましたが、その11兆円の全てが、健全で回収可能な債権であるとは、誰も信じていなかったのです。またぞろ大きな不良債権を抱えるわけには行かない。そのため、譲渡後に不良化または、債権の価値が2割以上減価した場合は、政府に買取を請求できるという瑕疵担保条項をつけることになったのですが、それでもドライに割りきって、その案を実行できるのは外資しかなく、国内の金融機関や企業には難しかったのです。 国内には、リスクのとれる、またとる勇気のある金融に関心のある企業が見つけられなかったのが真相でした。こうして、リップルウッドはほとんど無競争に近い形で、10億円という破格の安さで、旧長銀を手に入れることができたのです。 一時国有化という形の破綻処理は、破綻前の公的資金の投入よりも高くついたことは確かです。そして、破綻銀行が一時国有化を経て、多額の税金投入という国民の犠牲によって、再び再生したことも事実です。それは金融機関の過剰という解決すべき問題を、温存してしまうことに繋がったことも事実です。 しかし、このことが瑕疵担保条項という聞きなれない言葉に隠された意味を、やがてあぶり出し、金融監督庁の検査を通じてもなお、温存されたままの本当の不良債権の闇を、やがてあぶりだしてくれる布石になったことを、評価する必要があるように、私は考えます。 金融危機、日本経済の危機はなお残っていたのです。 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.12.23 17:35:09
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