カテゴリ:国際政治
第一次世界大戦(35)
ドイツ政界と国民の動揺 軍指導部が唐突に休戦交渉の必要を口にするようになったことを訝った帝国議会は、10月2日(この日は参謀総長ヒルデンブルクが、大本営を離れてベルリンを訪れ,自らマックス大公に首相就任を要請した日です)各党の指導層を召集して、参謀本部の代表に戦局の実際について、説明を求めました。 参謀本部は、何が何でも休戦交渉をまとめなければならないという考えから、戦局の実情を包み隠さず説明する態度に出ました。これまで、議会や国民に対して、「ドイツ軍は必ず勝利する」とのみ語りかけ,戦局が不利であること、そして今や絶望的であることなど、気配も見せていなかった態度を180度転換したのです。 このため国民も政界も、ドイツ軍がよもや負けるとは考えていなかったのです。ところが参謀本部の代表者の説明は、議会の指導層にとっても大変な衝撃でした。話のメモが残されています。 「ブルガリア戦線の崩壊によって、全戦線がすべて危険な状況になった。崩壊したブルガリア戦線を、ドイツの予備兵力で補充しなければならないのに、悲しいかな我が軍にはその余裕がない。既に全予備兵力を西部戦線に繰り出してしまって、辛うじて敵の進撃を食い止めていたのだから…。いまや敵に強要して、講和を結ばせる見込みはゼロである。」 「敵側は多量のタンク(戦車を指す)を戦線に出動させて、我が軍陣地を突破して、多くのドイツ兵を捕虜にしている。残念ながら今のドイツには、敵に匹敵するだけのタンクを作る工業力がない。我が軍の補充兵力も欠乏している。1大隊の兵力は4月には800人だったが、今や540人が精一杯である。しかも歩兵22個師団を解散して、編成し直した結果として得られたのが、個の数字である。」 「ドイツ軍の損害は、我々軍部の予想すら遥かに上回っているが、特に将校の死者が多いのが痛手である。これは将校が攻撃の際も防禦の際も、常に第1線に立って部下を指揮しなければならないからで、ある師団では、2日間の戦闘で将校全部が死傷し、連隊長4人のうち3人が戦死した。下士官の死傷者も破滅的である。」 「今や我が軍には、予備兵力は皆無である。絶え間ない敵の攻撃に対し、ただ退却しているのが現実である。以上の形勢からヒンデンブルク、ルーデンドルフの両将軍は、カイザーに対し戦争を止め、これ以上の死者を出さないように進言した。1日遅れれば、敵側はそれだけ勝利に近づき、ドイツ側の耐え忍べる条件で講和を結ぶ気をなくしていくだろう…」 これが参謀本部の議会指導者に対する告白でした。4年もの間、飢えに苦しみ、寒さに凍えながら,軍部の専横を耐え忍んだ結果が、そして軍の言いなりにモクモクと働き、戦い続けた結果がこういうことだったとは…。やりばのない憎しみと怒りが、政界にも国民にも燃え広がるのに、時間はかかりませんでした。国内情勢は一夜にして大きく変化したのです。 軍部の独裁をいままで通り支えようなどという国民は、ほとんどいなくなったのです。 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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