カテゴリ:外国史
宗教改革よもやま話 (29)
ところで各地のルター派教会と、ルター派の諸侯や都市は、自国語や自地域語の聖書を発行し、文字の読める領民に対し、聖書を読むことを奨励しました。とりわけ、地域の大領主(日本的に言えば、戦国大名クラスと理解して良いようです。時期的にもほぼ重なります)は、自らへの求心力を高めるために、地域語の通用範囲を広げる努力を続けました。 フランスでもドイツでも、イタリアでも、こうした中で次第に優勢になった地域語が、その後フランス語だドイツ語だイタリア語だと、呼ばれるようになり、標準語の地位を獲得したのです。そして、他地域の言語は、その一部が方言として今日に残る形となったのです。日本の場合、江戸幕府の意向がほぼ全国に届きましたので、江戸語が標準語となったというわけです。 ところで、こうした各国語の形成は、17世紀半ばにかけて、大きく進展したことが知られています。16世紀半ばに宗教改革が本格化した時期から、丁度100年ほど後のことです。ルター派の信仰は、領主の強力な推薦と指導力によって推進されました。この事実に着目して、ルター派の信仰を国づくりの土台とし、中央集権国家建設を強力に推し進めたのが、北の新興国スウェーデンだったのです。 北海からバルト海にかけての地域は、伝統的にノルウェーとデンマークを中心とした世界で、スウェーデンもノルウェーの従属国だったのですが、16世紀に入ってノルウェーからの独立を勝ち取り、その頃から急激に力をつけてきたのです。それでも当時のスウェーデンは人口150万人程の小国でした。そこで国王は領民に国民意識を植え付けることで、求心力を高めて難局に当たることを思いついたのです。 国王は、ルター派の信仰を国教と定め、村ごとにルター派教会を建設し、全ての教会に何冊、何十冊ものルター派完訳のスウェーデン語の聖書を備えさせて、全ての国民が聖書に親しめるようにしたのです。そして、教会を梃子に初等教育を全国に推し進める、教育改革を推進したのです。「誰もが『聖書』を読めるように…」を合言葉に……。 こうして17世紀初頭には、国民の8割以上が字を読める、教育大国になっていたのです。最も字を書ける人は、それほどではなかったという替わった教育だったのですが…。こうしてスウェーデンは、もう少し後で叙述させていただく30年戦争(1618~48年)の頃には、押しも押されもしないヨーロッパの大国にのし上がっていたのです。 ここから各国は、スウェーデンを見習い、標準語の形成と国語化に力を入れはじめるのです。宗教改革は、こうして各国語の形成と普及、教育の進展に、大きく寄与することとなったのです。この点もまた、宗教改革を語るときに、忘れるわけにはいかない事実の一つです。 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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