クロニクル 内務省に失業防止委員会設置
1930(昭和5)年4月26日
今日は、昭和前期の記録です。満州事変のおよそ1年5ヶ月前、今日から72年前のことです。 この日、政府は内務省に大きな社会問題となってきた失業問題を検討する委員会、その名も失業防止委員会を設置しました。
内務省というのは、戦後解体されましたが、戦前の内閣制度の下では、最も力の強い役所で、内務官僚は官僚の中の官僚と呼ばれていました。それぐらい権限の大きい役所でした。
そうした役所に失業を防止する委員会を立ち上げなければならなかったのですから、当時の失業問題がいかに深刻であったかが、分かります。昭和2年春からの金融恐慌。それに追い討ちをかけるように、4年の秋には米国が恐慌状態に入り、その余波を受けた世界は、世界恐慌に陥っていました。
日本は、ダブルパンチを受けた形となり、企業倒産や生産の縮小による失業の増大が深刻化していたのです。
当時の大学は、数も少なく、大学生は押しも押されもしない、社会的エリート予備軍だった(今とは、全く違いますね)のですが、その大学生すら卒業しても職につけない状態が広がってきていたのです。彼等は自嘲的に「大学は出たけれど...」とつぶやき合い、それが当時の流行語として今に残っています。
しかし、こうした努力にも関わらず、失業防止対策はどれもうまく行かず、結局日本は歯止めの効かない無茶な戦争にのめり込んで行く事になります。