カテゴリ:人物
クロニクル ライシャワー駐日大使着任
1961(昭和36)年4月19日 前年の安保闘争で傷を負った日米関係の修復を目指したケネディ政権によって、知日派の旗頭だったハーバード大学教授、エドウィン・ライシャワー氏が駐日大使に担ぎ出され、この日着任しました。 ライシャワー氏の父は、明治学院の創立に関わり、その関係で氏は日本で生まれ、日本のアメリカンスクールで教育を受けた変り種でした。前妻と死別した後、明治の元勲松方正義の孫にあたるハル夫人と再婚していましたので、夫人が日本人という点も、対日関係の改善にプラスになると、受け止められたようです。 大使は在任中、日本全国を巡回する熱意を示し、66年までのマル5年を大使として勤めました。しかし、63年秋ごろから、激化するヴェトナム戦争と、日本におけるヴェトナム反戦運動の高まりによって、再び対米感情は悪化し、日米関係の改善は、道半ばに終りました。 64年3月、暴漢に太ももを刺されて重傷を負い、3ヶ月の入院生活の後に大使に復帰しましたが、この時の輸血が原因で肝炎を患い、この事実がきっかけとなって、日本における売血の停止と献血制度が整備されることになりました。 なお退任後のライシャワー氏は、ハーバード大学に復職、同大学の日本研究所長として、幅広く日本研究を推進する役割を果たしました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[人物] カテゴリの最新記事
|
|