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クロニクル 東京教育大学、筑波移転を決定
1969(昭和44)年7月24日 50年前のこの日、東京教育大学(現在の筑波大学)の評議会は、政府が推進を決定していた筑波研究学園都市への移転を決定しました。 この構想については、移転を承諾すれば、旧式の設備を一新でき、しかも大型の研究用機材を大量に新規購入できることに魅力を感じた理工学系の教員が概ね移転推進派となり、人文、社会科学系の教員の多くは、人事等で国家管理色が強まることを嫌って、移転反対を強く主張するなど、学生をも巻き込んで学内を二分する大問題になりました。 この年1月には東大安田講堂を占拠した全共闘派の学生を、機動隊が排除するなど、全国的に学生の反乱が続いており、東大闘争以後も、各地の大学でのストライキや授業ボイコットが続き、全国学園闘争と称された事象は、なお衰えをみせていませんでした。当時は、そんな時代環境にありました。 それゆえ、移転反対派の学生たちは、移転を決定した評議会の議事録の公開や移転賛成の根拠の公開を求めて、ストライキや全学封鎖を繰り返し、一時は騒然たる空気に包まれましたが、70年代に入って全共闘運動の退潮と共に、移転へ向けてのスケジュールが進むことになりました。 しかし、移転反対派の教授陣の多くは、民主的手続きを踏んでの移転決定手続きが採られないことに抗議して辞職の道を選び、文系の名物教授の多くが、他大学に転籍する事態を招きました。こうした事情から、移転後しばらくの間、筑波大学は文系スタッフの確保に四苦八苦する状況が続きました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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