カテゴリ:日本文化
クロニクル 伊能忠敬蝦夷へ…
1800(寛政12)年4月19日 今日は地図の日です。それは220年前の今日、日本の地図の父とも言える伊能忠敬が、5人の仲間と共に最初の測量開始の地である蝦夷へ向けて出発した、ちょうどその日に当たるからです。 忠敬はこの時56才。上総で酒造業を営んでいた忠敬は、この4年前1796年に家督を息子に譲って隠居、江戸へ出て高橋至時(よしとき)に弟子入りして天文学を修得、緯度1度の長さを測るべく、地形の測量を思い立ち、幕府の許可を得て、自費による蝦夷地の測量を実施する決意を固めたのです。 函館から襟裳岬を通って、厚岸から根室へと、蝦夷地の東端まで測量して帰路に着き、10月21日に江戸に帰り着きました。この旅に忠敬一行は100両の金子を持参したのですが、帰着した時の一行の所持金は、僅かに1分と、ほぼ100両のお金を使いきっていました。幕府は22両1分を下賜してくれましたが、忠敬の持ち出しは大きかったのです。 測量を土台とした地図の製作は12月21日に完成します。出来上がった地図は幕府に献上されました。地図を見た幕府要人は、忠敬の測量技術の高さに驚き、改めて忠敬に日本全国の沿岸測量と地図の作成を依頼、1816年の完了まで、忠敬の測量の旅と地図作りが行われるのです。 それにしても、完成時の忠敬は72才。健康と健脚には驚きを禁じえません。彩色の伊能図は大図214枚、中図8枚、小図3枚からなり、現在国立国会図書館に保存されています。幕府が密かに秘蔵していたため、伊能図を元にした地図が発行されたのは、1865年のことでした お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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