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カテゴリ:幕末関連書物
安政江戸地震
前から不思議に思ってた。安政2年(1855)10月2日の大地震が与えた影響ってどうだったんだろうって。 町方は死者も火災も倒壊も「未曾有」の規模だった。とあるが、武家方はどうだったのだろう そんなもやもやしたギモンを吹っ飛ばしてくれたのがこの本。 武家方の被害はとんでもなく、一番被害を蒙ったのはなんと会津藩上屋敷。 そして松平下総守、老中内藤紀伊守。 さらに酒井雅楽頭、森川出羽守…。 地図見てビックリ こ、これって。江戸城のまん前やん! じゃあ一番被害を受けたのは郭内の幕閣要人、親藩。 そしてその被害のわりに江戸の町に大混乱、略奪の嵐が起こらなかったのは南北町奉行を頂点として世話掛・市中取締掛・非常取締掛が町の隅々までを網羅する救済体制がすばやく機能していわゆるお救い米、お救い小屋が急造されたのだ。 やるなぁ町奉行。 幕末、幕府の体制が揺らぐ中、武士らしくない武士があふれ様々な亀裂がちらつく感の強い江戸の町でちゃんと機能して江戸の町を守ってたヒト達がいたのがなんか嬉しい。 また話が逸れました。 え~と会津藩。 品川沖では砲台が崩れる程の被害。 会津藩の死者は139名と公式届によれば最も多く…。 でもそんなに沢山の死者が出たのなら、菩提寺に地震の被害者の碑でもありそうなのにねぇ。 そういうの見たことないし、聞いたことも無いなぁ。 台場の陣屋も倒壊して死者がかなり出たのにその人たちの墓所が無いって言うのも不思議だよね。 本にはコレラや麻疹の被害も載っている。 やっぱり多数の死傷者が出るような大惨事が起きたら世の中は揺れるし、人々の不安はあおられる。政府に対する不満も噴出しやすいよね。 それが、あの時期に起きたというのはなにやら暗示的。 鯰絵は眺めてるだけでも楽しいし、上手いこと描くよなぁと感心しきりだったのだがなんと取り締まられてその年の12月14日板木は破棄され版元は捕らえられると言う終焉を迎えたのだ。 前に鯰絵ばかりを集めた本を見たけど、子供向けの鯰絵まであって江戸庶民のそういうパワーって凄いたくましい。 僅か2ヶ月の鯰絵ブームだったけど、現在これだけ種々残っているという事はみんな捨てずに持っていたという事か。 いつの世もお上が取り締まれば庶民はムキになる なかなか興味深く面白く読みました。 野口武彦 ¥900 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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