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虎魂悼罪

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2012年09月30日
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カテゴリ:戦史系
10代の頃、英語は学年ワースト20に入る勢いだった一方で世界史は常にトップ3に入るという極端に偏った学力を持ちながら、最終的にはどちらも関係ない整備士になってしまった男が、歴史を勝手に語る記事である。

世界で偉人と言われる指導者や軍人はたくさんいます。
しかし、歴史の記録ってのは勝者が書き換えるものであり、敗者の記録は消されたり改変されたりするのが常です。
また、負けて無くても、当時の世界情勢の中でマイノリティに分類されてしまうグループの記録は残りにくい。
逆に、大した功績が無いのに当時の世界で勝ち組、多数派、マジョリティ側に属してたというだけで過大評価されてる人なんかもいる。
中世ヨーロッパとかそんな題材の宝庫だ。

基本的に今の世界ってのは西洋列強が作り上げてきた価値観のもとに構成されてんです。
そりゃ英語は世界で10億人に通じますしね。どうしてそうなったのかって経緯を調べりゃ納得はできる。
なんで南米アルゼンチンでスペイン語が公用語でブラジル人がポルトガル語を話すのか?
世界の中心がヨーロッパにあるからですな。
そのヨーロッパの中での権威の象徴ってのはローマ法王でありキリスト教、カトリックだな。
これは今も太古の昔も変わらない。というか、太古の昔はまだ「異教徒」なんて概念で基本的にキリスト原理主義の考え方が根深いもんだから、たちが悪い。

だから十字軍を「聖戦」と称してみたりイスラム教圏の国家を敵対視した記録ばかり残る。
十字軍なんか表向きは聖地エルサレム奪還なんて名分だが、実態は単なる略奪、無差別殺戮集団だからな。
最初の十字軍はローマ教皇の指示の元で遠征軍が組織されたんだが、エルサレムを占拠した際に、老若男女のイスラム教徒7万人を無差別に大虐殺。
その後イスラム側と取ったり取られたり繰り返しながら100年以上もケンカを続ける。
第4回十字軍にいたっては、もはや統制も取れず暴走し何故かエルサレムじゃなくエジプトに向けて出兵し、しかも途中でくるっと方向転換し、何故か同じキリスト教圏のハンガリーを攻撃(´_ゝ`)
同じキリスト教国を攻撃したことで、さすがの教皇も十字軍を破門にしてしまった。
本来、教会から破門されたのなら、そこで終わりになるはずの「神の軍隊」。
しかし彼らの暴走は止まらず、次いで同じキリスト教国である東ローマ帝国を征服して、なんとそこでフランドル伯が皇帝になりラテン帝国を建国してしまう。
ただの野盗である。
しかし欧米の教科書で教育を受けたキリスト教圏の人々は今でも十字軍の目的は聖戦だったと教えられる。
だからイラク戦争の時にブッシュが「聖戦だ」と言い、アメリカ軍を「十字軍だ」と表現したわけだけど。


で、何が言いたいかってと。ようするに世界の主流から外れてるせいで教科書が教えない歴史に埋もれてしまってるけれど、そんな中でも優秀な指導者や軍人はいたんだってのを紹介してみたいなと。




〇サラディン


十字軍とイスラムの話が出たから、やっぱりこの人からかな。
現在のイラクの北部で生まれて青年期はシリアに版図を持つセルジューク朝傘下の軍人として出世して行政、軍事に監督権を持つ身分になる。
若さの割りにかなり優秀であった証拠だろう。

その後は数度のエジプト遠征の中で各地を転戦。エジプト全土を制圧して自身の王朝アイユーブ朝を創始。
その後もとの主家をも吸収。シリア地域も支配下に治めて、勢力を拡大。
このとき、エルサレムには「エルサレム王国」なる国家があった。
これは十字軍が遠征してきてエルサレムを占拠した時に建国したいわば「十字軍国家」
十字軍にはテンプル騎士団だとかヨハネ騎士団だとか、名前ごとに大層な部隊があったのだが、サラディン軍の弓騎兵に散々に蹴散らされてエルサレムを奪われる。
これはもう負けるべくして負けたというか、シンプルな騎馬突撃を繰り返す十字軍に対して、ある時は夜襲、ある時は伏兵、ある時は山本勘助ばりの啄木鳥戦法と、多彩な戦術を駆使するサラディンに翻弄されただけとも言える。

この時代の戦では、捕虜は身代金を払えば返還されるというシステムが慣例で、敵の捕虜は戦利品と同じだった。
まぁ貴族や富裕層の子息で戦地に出てる騎士団員なんかは普通に払えるんだけど、庶民や傭兵なんかは払えないで処刑されたり奴隷にされたりする。
現に第3回十字軍の時に、かの有名な獅子心王ことリチャード1世は身代金が払われない捕虜を全員殺してる。
ところがサラディンは捕らえた捕虜を全員解放してる。
これが敵味方問わず彼の寛容さが評価される理由でもある。
まぁ、約束を破った奴や過去に許しがたい虐殺をした敵の騎士なんかは問答無用で処刑してるけどw
あまり財や金に固執しない性格なのか、自身の住居も質素なもので、王になってもあまり贅沢はしなかったようだ。
気前良く財産を領民にばら撒き過ぎて自身の没後にサラディンの私財を調べたら「金貨1枚、銅貨47枚しかなかった」状態で葬式代も出せない程度だったってのは有名な話。
エジプトとシリア全域を統治してる王の遺産が葬式代以下って、西洋じゃ有りえない話であるw
パッとしない戦果やショボい戦い方しか印象が無い十字軍だが、唯一マトモというかサラディンと対等に渡り合ったといえるのが、この第3回(第4回とする解釈もあるけど)のリチャード率いる十字軍だけじゃないかと。
さすがは戦争バカのリチャード。ライオンハーティッドキングの異名は伊達じゃない。サラディンも一時期は後退を余儀なくされたわけだが、最終的には休戦協定を結んでる。その後は十字軍は瓦解、サラディンはシリアの統治力を増したので「戦は引き分けだが外交で勝った」といえるかもしれん。
リチャードは生粋の脳内筋肉のようで、撤退時にサラディンの襲撃を受けた際に、たった数名の旗本と僅かな手勢で自ら敵陣に斬りこみ鎧に何本もの矢が突き立った状態で突撃を繰り返す王の姿に兵も士気が上がり、その姿にサラディンは感嘆したとされる。
後にリチャードがマラリアに感染して寝込んでた時にはサラディンから見舞いの品が届く。
互いに異教徒だ邪教徒だ罵り合いながらも、後に両者が休戦協定の交渉のテーブルにつけたのは、双方相手に一目置くところがあったからだろう。

イスラム教徒の間じゃ今も大人から子供まで知らないやつはいないほどの英雄ではある。




〇バイバルス


イスラムのスルタン(王)のサラディンを語ったら次点でオレが外せないと思うのがこの人バイバルス。
記述によると「長身、金色の髪に褐色の肌に青い瞳を持つが片目の視力の無い人物」とされてる。
生まれつき目が見えないのか、病気なのかは定かじゃないが「隻眼の虎」と言われるくらいだから片目の視力が無いのは確かのようだ。

幼い頃は奴隷として売買されてたのだが、後にマムルーク朝の兵隊として買われ、そこで出世をしていく。
彼の名が歴史にデビューするのは第7回十字軍の頃。
またまた出てきた十字軍。この頃、病床の軍団長に変わって軍の指揮を執ったのがバイバルスとされてるから、奴隷から出世した軍人としては異例のスピード出世ができるくらい功績を重ねてたんだと思われる。
んで、このバイバルス、ルイ9世を大将とする第7回十字軍遠征で攻めてきた十字軍相手に奮戦し、勝利。
そして敵将のルイ9世を捕虜にすると言う大戦果を挙げる。
その後はエジプトの内部混乱の中で一時帰国外脱出したりもしてるのだが、かのモンゴル帝国の軍が迫ると連合軍として戦いこれに勝利。
そのままマムルーク朝のスルタンとして即位。
奴隷がスルタンになってしまうフリーダムさというか、そもそもイスラム圏のスルタンは世襲制じゃなく優れた人物が出世の終着点として即位したりするので、こんな事も起こる。

彼の一番の功績はやっぱり当事世界最強として無敵を誇ってたモンゴル軍団を撃破した事だろう。
同時に十字軍とも戦い、スルタン位に在位した17年の間に32回の戦闘に全て参加してるので常に戦地を転戦しながら生きてた事になる。
王としての執務もこなしながらとなると、相当強靭な体力を持ってたんだろう。

戦バカだと思いきや、意外とやる事はやってて、交易と通信に関しては瞠目に値するような聡明さを見せている。
でもこれ全て軍事に通じるんだけどね。
連戦を重ねる軍費の調達に貿易を整備し、情報のスピードを追い求めて駅伝制度を整えたわけだ。
100年以上も繰り返し懲りずに攻めてくる十字軍に見せしめの抑止力としての意図があったのか、占領したキリスト教圏で都市破壊や住民殺戮をした事が評価を落とす事にもなってるが、軍事能力的には天才と呼んでもいいくらい優秀だったのは確かなようだ。

ただ、キリスト教圏では嫌われてるが、彼は同時にキリスト教圏の敵でもあるモンゴル帝国とも戦ってて、当時の西洋諸国がまったく歯が立たなかったモンゴル騎馬軍団の西進を食い止めてたのがバイバルス…という少し皮肉な結果もあったりする。

イスラム圏ではサラディンと並び証される、もしくはそれ以上の評価をする人もいるくらいの英雄だが、日本の教科書じゃほとんどお目にかからないな。
西側諸国への配慮かもしれん。





〇ティムール


モンゴル軍が登場したので、モンゴル軍じゃないのだが、その派生とも言えるチャガタイ・ハン国の軍人ティムールを。
若い頃からチャガタイ・ハン国(今だとトルキスタン周辺)の騎馬兵隊長として出世。
その後は国内混乱や内部闘争に巻き込まれるのだが、地道に部族を押さえ有力者としてのし上がり、最終的にはティムール朝を創始する。
元々、モンゴル帝国の遺児たちが中央アジアだけじゃなく大陸全域にわたって分裂してた状態の中で、彼はモンゴル帝国2代目のオゴタイの王子を擁立してハンを名乗らせる。
だから厳密には彼は王ではなかったのだが、ほとんど傀儡に近い感じで実質統治してたので、ティムール朝と呼ばれるんだな。
その後はペルシャ方面、アフガニスタン、アルメニア方面、イラン、イラク全域、インド遠征、シリア方面占拠、中国遠征など、チンギス・カン顔負けの快進撃を繰り返し、版図を拡大。
この歴戦の中で彼はその天才的な軍事能力で生涯ほとんど負けた事が無い。
それは彼の兵器や戦術に関する軍備研究の熱心さの賜物だろう。「技術」というものの価値をよく理解してたんだと思われる。
あのオスマン帝国にすら勝利し、名目上の形骸化した形とは言え、オスマン帝国を従属化に成功してる。
彼の一連の行動を見ると、明らかにチンギス・ハンに傾倒した「世界帝国」という構想があったんだろう。

最終的には中国遠征の最中に陣中で死んでる。

一代で広大な勢力版図を築き上げたその軍事才能と手腕は確実に世界史にその名を残して然るべきとは思うのだが、なんせ中央アジアと言うマイナーな土地の話なので…
個人的にはオレの中では世界3指に入る偉人だと思ってんだけど。



そりゃナポレオンも優れた軍人だったけどね、世の中には彼よりもっと偉業を成して評価されても良い人物はたくさんおるのですよ。





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最終更新日  2021年11月20日 00時05分40秒
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