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2022年01月05日
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カテゴリ:落語系
「落語は人間の業の肯定である」

立川談志は著書でこんなことを言ってました。

親孝行だの勤勉だの努力は報われるだのは全部嘘で、人間ほ弱いもので、働きたくないし、酒飲んで寝ていたいし、勉強しろったってやりたくなければやらないし、気に入らない奴は蹴飛ばしたい、努力したって無駄なものは無駄だ。

働かず飲んだくれてる魚屋が浜で大金拾うんだ。そんな不公平な話有るか、と。
忠臣蔵で主のために死んだ連中は義士として講談や歌舞伎になり、逃げだした連中は落語になる。

たしかにそうかもなぁ…と思うし人生の中で落語から教えられる価値観や自分の変化はあった。
根多も最初聞いた時は単なる驚きで終わるけど、何度も聞いてると登場人物の了見なんかも見えて来て、自分に投影してみたりと色々と考えさせられる事も多い。

…いや、言葉にすると小難しいし、初心者の頃はそんなこと考えちゃいなかったけど。


今日はいくつか落語の根多をピックアップして、個人的な解釈をダラダラ述べてみようかなと。
解説なんてできるほど専門家じゃないんで完全にオレの私見と主観だけど。






■『三方一両損』


落語のネタは知らなくても、この言葉と内容は知ってる人いるかも。

三両入った財布を拾った左官の金太郎と落とした大工の吉五郎。
拾った金太は一緒に入ってた書付から持ち主の吉五郎を訪ね三両を返そうとするが、そこは互いに生粋の江戸っ子。
「俺を見限って出てった金なんぞ受け取れねぇ。持って帰れ」と断る吉五郎と「こちとら宿無しや物乞いじゃねぇ。拾い銭で食うほど落ちぶれちゃいねぇ。テメエのもんなんだから受け取れ」と譲らない金太郎。
「返せ」「返さねぇ」で揉めるではなく「受取れ」「持って帰れ」で大金押し付けあう珍妙な争いは、遂に奉行所届け出となり、お白州で大岡越前の裁きを受けると相成る。
困った越前、自ら1両を出し4両としたうえで二人に2両ずつ分け与える。
「3両拾って手に入るはずが2両になった金太郎」
「3両戻って来るはずが2両しか戻って来ない吉五郎」
「二人のくだらん争い裁くために1両出した越前」
3人とも1両ずつ損してるから解決だというあらすじ。

…ただ、少し賢い人だと「その理屈なら2人で1両2分ずつ半分に分けりゃ双方同じ損だろ。越前だけ金出してんじゃん」と気付く。
実際、同じことを言った友人がいた。俺も初めて聞いた時はそう思った。

でもそれはわかってないんだな。


別にこれ、金太郎と吉五郎は「金の取り分」で揉めてたわけじゃない。「己の意地」で揉めてたのだ。
江戸っ子としてのプライドがこんなつまらん争いを生んだので、金半分に分けて平等とかそんなレベルの話をしていない。

この話のミソは「奉行の越前が2人の為に1両損をしてる」という所がポイントだ。

「奉行のオレがお前らの為に1両出せば、お前らの顔も立つだろう?」
「この裁定蹴ってまで俺らのくだらん意地の張り合いでお奉行様の顔は潰せねぇ。」

という「メンツ」の話なのだ。


自分の為に骨折ってくれる人の顔を自分勝手な都合で潰しちゃいけない。

そういう話だと俺は勝手に思ってる。



■『文七元結』


これも有名な話だな。冬の名作で年の瀬には寄席で良くかかる。

この話が難しい話だと言われる最大のポイントは「左官の長兵衛」と、その娘の「お久」の心理を語り手がどう解釈して演じるか?なんだろう。

だって考えてみな?

いくら親子といえ、博打好きで仕事もせず借金抱えてる父親の為に、娘が吉原に自ら身売りに出向いて50両の金を父親の為に工面するんだぞ?

そんな娘いるか?

女郎屋の女将に「来年の大晦日まで待つから50両稼いで返せ。一日でも過ぎたらアタシゃ心を鬼にして娘を店に出す」という約束で50両出され、親としての葛藤もありつつ、それを受け取る長兵衛。
その大金を店の預かり金を失くして吾妻橋から身投げしようとしてる近江屋の奉公人の文七に叩きつけてくれてやる。

自分の娘が身売りしてまで用意した金を赤の他人を助けるために投げつける父親よ?

いるか?そんな父親。

ただの素人が物語として語ったら「そんなやついるわけねーだろ、夢物語過ぎる」と聞いてる方もドン引きさ。

そんな日常ではいなそうな二人の心情を噺家は汲んだうえで「親の為に身売りする娘」「娘を諦めて他人を助ける左官屋」を夢物語とリアリティのギリギリの狭いエリアで成立させなきゃいけないから難しいのだろう。

すごく微妙なバランスの中で成立してる噺。

身も蓋も無い言い方すりゃ、2人とも馬鹿なのだ。
でも演者がこの2人を馬鹿だと思って演じてたら絶対に成立しない。ご都合主義しか見えてこない。

立川談志は文七に50両投げつけるまでの長兵衛の葛藤を江戸っ子気質も絡めて凄くリアルに演じてた。
「俺が見てる前で死なれちゃ寝覚めが悪くて困るんだ」「くそー、誰か通らねぇか?通りゃこんなやつ譲るんだけど」「よしもう止めねぇ。死ね、でも俺が遠くに行ってからな?飛び込んだ音聞こえるだけでも寝覚め悪い」とかやりながら、最後は懐の大金をそっくりそのままくれてやる。
「これを恩だと思うなら娘が悪い病気貰わないように不動様でも金毘羅様でも毎日拝んでくれ」と言い残して走り去る。

「あぁ、あるかもなぁ?」と思っちゃうくらい。

いや!冷静に考えりゃねーんだけどさ(笑)

とはいえオレも江戸っ子ではないから、どこかで「そんな馬鹿な」は残るんだけど、それでも泣けるのはどこかで馬鹿を愛してるからだろうな。というか、馬鹿の与太郎を愛せないようじゃ落語は面白くないし。

ちなみに本来のあらすじだと、長兵衛が50両を返す期限は「来年の大晦日まで」の1年なんだけど、談志やその弟子の談春の文七だと「再来年の大晦日」と猶予が2年に延びてる。
これは「長兵衛がどんな腕のいい左官でも1年で50両稼ぐには無理がある」というリアルと、お久を預かった女郎屋の佐野槌(噺家によっては角海老)の女将の「できれば店に出したくない」という温情から猶予を延ばしてるんだと思う。

結局、大金持ち帰って店に帰った文七は店に自分が先方に忘れた金が届いてるのを近江屋の主人から聞き、事の顛末を親方に白状する。

談春の文七はここでちょっと笑いも入る。

恩人の名前もわからず、わかってるのは娘を女郎屋に預けたという事だけ。
困った主人の隣にいた番頭さん、文七に問う。

番頭「ワシが今から店の名前言うから聞き覚えある名前出てきたら教えろ。角海老、三浦屋、大文字屋、えーとそこからこっち回って…稲本、みなとや、佐野槌…」

文七「佐野槌です!」

番頭「旦那様、佐野槌です」

主人「佐野槌はわかったが、番頭さんおめぇ随分詳しいな」


最終的に見知らぬ若者の命の為に大金渡した心意気を買った主人が佐野槌まで出向き、文七を養子としたうえでお久を身請けして文七とお久は夫婦になるんだが、ここでも50両を返そうとした近江屋の主人に対し「江戸っ子が一度くれてやったもんを受け取れるか」と揉めるんだよ。

落語の江戸っ子は実によく金を落とし、金を拾い、金を投げる。
ちなみに1両が現在の価値でいくらか?というのはベースによって幅があるが、米の値段を基準とすると米は昔は高級品なんで約4~5万円。
職人の日当を基準にすると30~40万円となる。

間をとって20万くらいとしても50両なら1千万だ。

前澤社長じゃあるまいし他人に投げつける額じゃない。
ただ、自分のプライド、意地、見栄を1000万より高く見積もってたわけだな、昔の江戸っ子は。






■天災



これは結構そのまま人生訓として使えるんじゃないかなと初めて聞いた時思ったな。
実際、昔若かったころと今の自分の性格が多少変わったのも、これ聴いてハッとしたからってのも少しは影響してる。
短気ですぐ怒り喧嘩っ早くてすぐ手が出る八五郎に対して心学の先生が「広い野原を歩いてたら雨が降って全身が濡れる。雨は天が降らせた。天を相手に喧嘩を売るかね?」と問う。
八五郎は「お天道様を相手にケンカ売っても仕方ない」と答える。

「そういうのを天災という。人に水を掛けられようが瓦が屋根から落ちてこようが、それは人に怒ったり大家に怒るべきではない。それらは天がそうさせたのだと思ってあきらめる事が肝心だ」と教える。


もうね、今のインターネット上で大拡散したいくらいだよ。

何かにつけてプンスカ怒ってて、何なら自分関係ない事にもキレてるし。
赤の他人の不倫にキレてるとか天災の八五郎以下だよ。





■『たちきり』



たちきれとかたち切れ線香とか呼び名は色々あるけど、元は米朝の十八番だね。

「落語は女にゃ向かない」なんて言いますが、個人的には女流でこの根多やる人がいたら聴いてみたいかな。
…いや、出来る人がいればというか、逆にできない気もしちゃうけど。

商家の若旦那が芸者の小糸に一目惚れし、店の金まで手を付けて入れあげたことで番頭は若旦那を蔵の中に押し込め「100日そこで暮らして頭を冷やせ」と閉じ込める。
そうと知らない小糸は芝居見物の約束をした事に浮かれ朝から着物を選び若旦那を待ち続けたが、日が暮れても若旦那は来ず、それから連日手紙を書いては商家に届けるが番頭がそれを預かり若旦那には届かず。
毎日書いた手紙も80日目で手紙は来なくなり、100日経過して改心した若旦那が小糸に会いに行くと、小糸は会えない寂しさから恋わずらいをこじらせ飯も食わなくなり弱って死んだと聞く。

ま、携帯電話がある今なら考えられない恋愛ですな。
たかが1日ラインに既読がつかないくらいで焦る現代の時間感覚で、音信不通のまま80日も手紙を書き続け焦がれ死んだ女性の心理なんか演じようがない。

彼氏彼女がいる人は想像してみればいい。
いきなり相手から連絡が途絶え、メール送っても帰ってこない。
まぁ嫌われたのかな?と思うでしょう。でも嫌われる身に覚えがない。
一言でも話ができればとは思うが会う事もかなわず。
今だったら1ヶ月も連絡返って来なきゃ自然消滅でフラれたと諦めそうですな。

タイトルの「たちきり」は線香の事です。
当時の花街では芸者も時間制でして、要するに砂時計と同じ役目なんですな。
元は上方の落語なので途中で三味線が入ります。お囃子さんに協力してもらってやる噺です。

80日恋焦がれて死んでいく芸者を女流で聴いたらどうなるのか?は個人的な興味です。
悲恋ですが、妙にリアリティが出過ぎて落語にならないかもしれない。演劇なら成立するだろうけど。
もしくは、今までにないとんでもないたちきりができるかもしれない。
あくまで男が語り部としてやるから泣けるのかもしれないけど、女流でこの大根多に挑戦できる人がいるなら俺は聴いてみたいかな。




■『紺屋高尾』



女流の話をしたので廓話を。

花魁や女郎の出てくる廓話が女流落語には難しいと言われるのは「男目線で根多が作られてるから」だろう。

俺はこの話を聞くたびに「これ女性から見たらどう思うんだろ?」と疑問に思う。

全盛の花魁、高尾太夫に一目惚れした染物職人の久蔵が3年の間ずっと金を貯めて15両揃えて吉原の高尾に会いに行く。
ただ、相手は吉原の売れっ子であり大名道具と呼ばれ客を選べる花魁なので、なんぼ金があろうが「紺屋の職人です」じゃ相手にされない。
だから「千葉の流山の若旦那」みたいにウソをついておけとアドバイスされた。

夢にまで見た高尾が目の前に、夢見心地のまま一夜共にし翌朝、「次はいつ来てくれるのか?」と問う高尾に「3年たたなきゃ来られない」と久蔵は高尾を騙し続ける事に耐えられず高尾に自分の身の上を正直に話し、それを聞いた高尾は「年季が明けたら嫁に貰ってくれ」となる。


…まぁ、色々な人の紺屋高尾を聞いたけど、談春のが一番好きかな。談志の形がベースだけど師匠の談志より好きかもしれない。


でも、俺も若くないからさ。
この歳になると女性がみんながみんな、そんな無垢でい男の意気を買ってくれる人ばかりじゃ無いとも思うのさ。
この噺の高尾太夫は男にとって非の打ち所がないんだけどさ…

ちょっとリアルで考えたら女の人ってどう思うんだろ?と。

大名やお大臣を相手にしてる売れっ子で身請けの話なんか山ほど来てるはずの花魁がさ、自分が体売った相手が身分を偽って自分に嘘ついてたって知ったら怒るんじゃないか?
それこそ『三枚起請』の遊女だったら一発でフラれると思うんだ。
「自分に会うために3年休まず働いて金貯めた」は男からすれば「3年貯めた金を惚れた女に一晩で使う」はロマンしかないんだよ。「上出来だ!応援するぜ!オレぁそういうの大好きだ」となる。

ただ、女性が男のウソを許すのって「惚れた男だけ」だと思うんだ。
順番として嘘ついたことを白状してから惚れてるわけで。

まぁ嘘偽りばかりの世界でこんな誠実な男はいない…みたいな理由付けする噺家もいるんだけど、ホントに誠実なら「俺は職人だけどアンタに会うために3年寝ずに働いて金用意してきた。今夜抱かれてくれ」と言った方が女性から見たら響きそうな気もする。
まぁオレに女心はわからないのでなんともだけど…


談志バージョンだと久蔵の同僚たちの「アイツうまくやりやがったな。貯めてドーンが効いたんだ。俺らみたいにちょくちょく通ってたんじゃダメなんだよ」という台詞を入れてたけど、一晩15両の高尾をちょいちょい買える男なんかいないだろう。




■『居残り佐平次』



貧乏長屋で暮らしてる佐平次が仲間たちを集めて「1人一円で遊郭で遊ぼう」と誘い出し、散々飲み食いする。勘定は当然足りないが佐平次は仲間たちを先に返し、自分は勘定に来た店の者にテキトーに言い訳をしはぐらかしつつ数日遊びまくる。後日「金ならない」と開き直り自ら人質として布団部屋に籠る(仲間が勘定持ってくるまで人質)

夜になれば店も忙しく、誰も居残りの事なんぞ気にしない。頃合い見計らって佐平次は布団部屋を抜けだし、女中さんの手伝いをし奉公人のような事を始める。
「居残りも金がないから代わりに働いてんだろう」なんて思われてたが、そのうち店の者の小間使いや花魁の手紙の代筆、愚痴の話し相手なんぞもこなし、挙句にゃ座敷に上がって客前で幇間のようなことまで始める。
愛嬌もあり座持ちも良く幇間踊りも唄も上手いもんで客にはウケる上に祝儀まで切ってもらう有様。
夜が明けると布団部屋に戻り、酔いの初めにまた抜け出して幇間のような事をし座敷で相伴に預かり酒を飲み祝儀を貰う。
とうとう客の方から「居残りさん呼べ」「今日は居残りいねぇのか?」と指名までされる有様。
たまらないのは店の他の若い幇間衆。自分らの貰うはずの祝儀を佐平次が横から攫ってく形なので堪忍ならん。店の主人に願い出て「勘定はいらねぇから出てってくれ」と追い出そうとするが、そこでも「ちと理由があって表を歩けねぇ身の上だ」なんて言い出し、罪人を店に置けない主人から高跳びの支度金に着物から羽織までつけてもらい店を出され、最後の捨て台詞で「オレの仕事は居残りだ、あばよ」と去っていく話。

ま、一言で言えば多芸で口の回る天才の無銭飲食の話です(笑)

何が面白いって佐平次が謎に包まれ過ぎてんだよ。

貧乏長屋に住んでる身の上なら決して生まれは良くないさね。遊郭で遊ぶ金もない程度さ。

それがなんだ?幇間踊りと唄の心得があって字が書けて代書屋の真似事までして社交性が抜群?

無銭飲食でその日暮らししなくても、その才能の無駄遣いを改めりゃ普通に稼げる男だ。
金なんか持ってないのに才能だけで酒飲んで飯食って小遣いまで貰って、本来なら金払うべき相手から金貰って身支度までさせて帰る。
1円しかない無銭飲食の人質が一晩で15円はかかるという遊郭で何日も逗留して最後は身綺麗になって30円持ってんだよ。

どこで何やっても生きていけるそのバイタリティ。
3年休まず働いて吉原の花魁に会いに行く男もいれば、大金投げつける男もいる江戸に、こんな無茶苦茶な奴もいるのだ。幸せの形とは一体何なのか?(笑)

やってる事は無銭飲食と詐欺なんだ。
現在だと「しょーも無い犯罪」でしかなく、ヒーローなんぞになりようがない。
そんな男を痛快だとか面白い奴だと感じさせる。

オレも落語聴き過ぎて少し常識おかしくなってきてるのかもしれない。




■『権助提灯』



江戸期の商家の主人や一定の富裕層になると本妻の他に妾を囲ってるのが結構一般的。
ま、令和の現在じゃ許されませんが。
妾と言っても現在の不倫みたいに隠れてコソコソなんてのはダメ。それこそ本妻も周囲も公認で妾もあばら家なんぞに住まわせてたんじゃ自分の器量が問われるんで、それなりの一軒家に家政婦代わりの姉やか婆やでも付けて住まわせてやる。それだけのものを用意してやってこそ持てる。

とある商家の主人。妻の他に初という妾を養っていた。
この妻、嫉妬や悋気なんてのは縁遠い器の大きな奥さんだった。
お初の方も身の程を弁え本妻に妬いたりしない。男にとってはこれ以上ない都合良い状態。

そんなある日の晩。その日は風も強く荒れた夜となる。

妻は亭主に「こんな日は『あちらさん』の家に泊まってあげたら?ウチは奉公人もいるし」と亭主に言う。
それを聞いた亭主も心の広い女房だと感心し提灯持ちに飯炊きの権助を伴って、お初の家に向かう。

道中の権助に皮肉を言われながらもお初の家に着くが、出てきたお初に事の仔細を話すと「奥様のお気持ちは嬉しいが、いつもよくしてくださる奥様ですし、ここで更に奥様の厚意に甘えてあたしが旦那様を泊めると物のわからない女だと思われる。今日はあちらにお帰りになって」と断られる。

「権助、提灯に火を入れろ」
「へい」

そして家に戻ると本妻から「健気な子じゃないですか。そこまで言われてしまうと尚の事ウチに戻られちゃアタシのスジが立たない。これでうちで休まれたら今後あの子に小言が効かなくなるじゃありませんか。お初のとこに泊まってあげてくださいな」

しかたなくまた権助に声をかける。

「権助。提灯に火を入れろ」
「んなことだろうと消さずに待ってた」
「バカ、灯しっぱなしで蠟燭が一本で済むところを二本使うようになったら無駄だろう」
「もう一度言ってみんろ?」
「1つで事足りるのに2つは無駄だと」
「どの口が言ってんだか」

そしてまたお初の家に向かうがやはり「妾には妾の立場がある」と帰れと言われる。

「権助。提灯に火を…」
「もう入ってる」

家に帰ると本妻からは「妾にそこまで気にかけられたら本妻にも意地が」と追い返される。

そんなこんなで本宅と妾の家を往復すること数度。

「権助、提灯に火を」
「その必要はなかんべ。もう夜が明けたぞ」


この噺ね。飯炊きの下男の権助が道中で旦那に喋る皮肉が逐一マトモなんだよ。
教養も学も無く下働きの飯炊きが、商売成功して奉公人抱えて妾まで抱えてる旦那に吐く皮肉が事の本質を突き過ぎてていちいち面白い。

落語で江戸っ子の意地の張り合いはよく出て来るけど、この話は一言で言えば女の意地、さもなければ嫉妬の話なんだろう。
それも「男の視点から見た女の意地、嫉妬」の話だろうな。

旦那の「男冥利に尽きるね、どちらもできた女だ」に対して権助の「だーさま、フラれてんでねか?なにニヤニヤしてんだか」はその通りというか、もはやこの段階で女性二人は旦那の事なんか見ちゃいないからね。旦那通して向こうにいる女に対して意地を通してるだけで。
嫉妬するから意地を張りたくなる。

「二兎を追う者は一兎をも得ず」という諺はあるけれど、この場合二兎得てるのに一兎も得てない。


女の嫉妬は理屈じゃないからな。
とにかく部外者の権助がひたすら面白い噺。




■『五貫裁き』



博徒やくざな稼業から足を洗って八百屋を始めようとした八五郎。カンパを募ろうと尋ねた徳力屋にて奉加帳に3文と書き記された事で押し問答になった挙句、一文銭を投げつけた事で騒動となり奉行所沙汰になる。
そこで毎度おなじみ大岡越前、落語の世界の南町奉行所には越前しかいないのかと。
そこで逆に八五郎は「金を粗末にした」という罪で罰金五貫を言いつけられる。
もちろん一度に払えないので毎日1文ずつ徳力屋に払い、徳力屋が奉行所へ届けるという沙汰となる。
翌朝から夜も明けないうちに八五郎は徳力屋を叩き起こし1文払い、半紙に受け取りを書かせ、それを店の若い者が奉行所へ届けるが、奉行は「お上に収める銭であるから店主が町役人5人組同道で持参せよ」と言う。
五人組はタダじゃ動かないので毎日手当を払う事になる。五貫てのは5000文なので計算すると12~13年毎朝おこされる。1文の受け取りを書く半紙が5000枚。5000日分の五人組への手当てが莫大な金額になるので、こりゃたまらんと20両で示談になる。


お役所仕事って融通利かないという好例かもね。

オレも似たような事が最近ありましてね。
店で加入してる、店内預かり車両の任意保険を口座振替にする際の手数料が55円だそうで、その請求書と振込用紙が来たんです。
問題は「55円を振り込むために振込手数料が220円かかる」ということ。

別に220円くらいどうでもいいけど、なんか面白いので保険屋に電話したら「振込明細取っといてくれれば後から220円もお返しします」とのこと。


え?それそっちが負担するの?

55円受け取って220円俺に払うの?
それ165円損してない?
だったらその55円なんかそっちで建て替えた方がよくない?
この振込用紙と郵便代の方が55円より高くない?

思わず「お前ら五貫裁きか」と呟いてしまった。

1文受け取るために半紙に受け取り書いて五人組に報酬まで払って届けてる徳力屋といい勝負である。


ただ、損得ではどうしようもない事もある。
たしかに罰金として奉行所に届ける金を店の丁稚や奉公人に持たせて使いにやるってのは奉行からすれば舐めた話だ。
その55円だって保険屋もアホな事やってるのはわかってんだけど、経理上そういうわけにはいかないんだろう。
アホな事やってるのは全員がわかってる。だけどやらないと面倒くさい。
現代社会にもそんなアホな事はゴロゴロしてますな。




と、8つほどテキトーに根多をピックアップしました。
それぞれ演者の解釈次第で色々と変わってる所もあるけれど、落語ってやっぱり人生のあるある大百科なんだろうと思う。
それに加えて荒唐無稽な話も交えつつ、どこかで今を生きる為のモノの考え方のヒントみたいなものも点在してる。

落語に出てくる馬鹿の与太郎は現実社会に居たら、きっと仲間外れで周りも不要に関わらないで排除される人間だと思う。
ただ、落語に出てくる人たちは与太郎がバカなのは百も承知で、それでもそこに居る事も自分に関わってくることも許容してる。
与太郎は馬鹿だけど素直である。好奇心も旺盛だ。
わかんない事があると隠居の所に行って聞いてくる。たいていの場合は聴く相手を間違えてるケース多いけど。
そして教えてもらった事をすぐに試してみたくなり、付け焼刃で頓珍漢な言動を繰り返し失敗する。
この与太郎を「馬鹿な人間」だと心のどこかで思ってたら落語は出来ない。
与太郎の了見を把握しきれない前座とか二つ目だと、与太郎が与太郎じゃなく「馬鹿っぽい誰か」にしか客からは見えないのだ。
馬鹿に与太郎は出来ない。でも与太郎を馬鹿だと思っててもできない。

古典落語は内容は誰がやっても大体同じ。
だけど人物描写を変えると全く違う一面が出てきたりする。
聴く側の解釈でも変わる。

古典落語に女性が向かないと言われてたのは、落語自体が男の視点で作られてて男から見た了見とかものの捉え方がベースになった上で演者によって同じ古典を別のモノに変えられるから。
だから女性が古典をやると単なる読み聞かせ見たいになってしまう事も多いし、創作落語に生きる道を見出してる女流も多い。

でも、男の了見をキッチリ掴んで古典ができる女流もいる。
頭は女性だけど落語に浸かり過ぎて思考が江戸っ子になってるんだろう。
ぶっちゃけ、立川こはるのやる熊さんや八っつあんは下手な男の真打がやるより江戸っ子だ。
あんな綺麗な江戸弁でべらんめぇ口調を使える女流なんか今までいなかった。講談だと綺麗な啖呵切る女流多いんだけど。


正直、昔はオレも「女の古典落語かぁ…どうかね」と思ってたクチだ。
でも、色々聞くたびに「できてるな」と感じる事が増え、できてる女流が前例として出てくれば後進の女流は手本ができてるから後に続ける。
半分タレントみたいなタレシカ(女落語家の符牒)とは一線画した本寸法な女流も増えて来たし時代は変わったんだろう。


まぁ解釈とか小難しい事を言ったけど、所詮大衆芸能だからフィーリングで面白いと思うものを聞きたいように聞けばいいんですけどね。

だって『粗忽長屋』とかオレいまだに解釈しようがないもん。

そりゃそうだろ。
行き倒れの知り合いが倒れてるから「俺ちょっとコイツ呼んでくる。近所のアイツだ」と死んでるはずの友人呼びに行って、家にそいついるんだぜ?「テメエは粗忽だから自分が死んだ事に気付いてねぇ」と。

んで二人で死んだソイツの遺体を引き取りに行って担いで帰る最中「なんかおかしくね?」と。

「死んでるコイツは確かにオレだが、オレは一体誰なんだ?」で終わるのよ?

いや、観客全員ツッコミ入れるだろ。「こっちが聞きてぇよ」と。
解釈しようがないというか、江戸の笑いってこういうもんだったのかな?みたいな。




ま、なんか初席行きそびれて勢いで落語の記事を書いただけなんでオチは無いんですが。





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最終更新日  2022年01月05日 23時49分56秒
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