落窪物語 その9
少し間があいてしまいましたが、いよいよあこぎの大活躍する場面に入ります。その夜やってくる、とわかっていたら、少しでも見かけをよくして、姫君が恥ずかしい思いをされずにすむように、心遣いができたはずなのに。少将と帯刀がこっそりやってきたものだから、不意打ちのようになってしまい、姫君はどんなにか不安で、怖くて、恥ずかしくて、大変な思いをされたに違いない。少将が姫君の後ろ盾になってくださることはあこぎにとっても、願ってもないことだったのだけど、不意打ちでは、困るのですね。でも、初めての夜はもう、過ぎてしまいました。次からは、姫君のために、少しでも準備をして、恥をかかせないようお手伝いをしなくては!!そんな思いでがんばったあこぎのお話です。<落窪物語第一巻 その9>ようやく姫君の声を聞き、歌を返してもらった少将は、それまでは「ただ一時の女」としか見ていなかったのに、すっかり心を奪われてしまいました。その時、「お車が参りました」という声を聞いた帯刀は、あこぎに、「行ってお伝えしてください。」と頼みましたが、あこぎは、「昨夜は行かないで朝になってから行くと、まるで私が知っていたと思われるではありませんか。姫に嫌われるようにする気なの?」と、恨み言を言います。そんなあこぎを見て、帯刀は(子供っぽいな)と思いながらも、可愛く思えて「姫がお前を嫌っても、俺が可愛がってあげるよ」と笑いながらあこぎの部屋を出ました。そして、姫の部屋の前まで来て咳払い。それに気づいた少将が、姫の着物をかけてやろうとしましたが、単もなく、とても体が冷え切っていたので、自分の立派な単を脱ぎ姫にかけて部屋を出ました。姫は恥ずかしい思いでいっぱいでした。(注1)(注1)当時、共寝した翌朝は、着物の下に来ていた単(ひとえ)と呼ばれる白い下着の着物をお互い取り換えて別れるのが風流だと思われていました。お布団なんてまだない時代、共寝する男女は二人の着物を重ねてかけて、寝ていました。朝になると、その着物をそれぞれが着て別れるところから、「衣衣(きぬぎぬ)」→「後朝」と言うようになったわけです。この落窪の姫が、そういう習慣を知っていたのかどうか・・・ でも、少将が自分のみじめな様子に同情して着物をくれたことはわかったはずですから、施しを受けて、本当に恥ずかしかったことと思います。あこぎは、とてもお気の毒に思ったけれど、そのままでいるわけにはいかないので、姫のお部屋に行ってみると、まだ横になられたままでした。なんとお声をかけたものか、と思い悩んでいるうちに、帯刀と少将からの「後朝の文」が届きます。(注2) 帯刀からの手紙には、「昨夜は一晩中、自分も知らないことだったのにお前に責められてとてもつらかったよ。あなたのためにならないことなら、もう参りません。どんな目にあわされてもけっこうです。姫君も、どんなにか私のことを憎く思ってらっしゃるか、と思うと、このことも面倒に思えますが、少将様のお手紙があります。お返事をください。男女の仲とはこういうもの、なぜそう不都合に思われるのでしょうか。」と、ありました。(注2)この後朝の文は、早ければ早いほど、心がこもっているものとされていました。それに対して、女性の方が受け入れる気持ちがあるときは、すぐに返事を返します。でも、この時落窪の姫は、とにかく恥ずかしいばかりで、そのような気持ちの余裕はなかったようですね。あこぎは、姫のところに少将のお手紙を持って行き「ここにお手紙がございます。昨夜は思いがけず眠りこんでしまい、いつの間にか夜が明けてしまったようです。」「このご様子を存じておりましたら・・・」などといろいろ言い訳するが、おこたえがなく、起きることもされないので、「やはり、知っていたとお思いになっていらっしゃるのですね、情けない。長年お仕えして、このような後ろめたいことをするでしょうか。お邸にお一人で残られるのをお気の毒に思って、面白いお供にも行きませんでしたのに、私の言うことも聴いてくださらず、冷たくされるのでは、もうどこへでも参りましょう。」と言って泣くと、姫もあこぎが可哀想になって、「あなたが知っていたとは思わないけれど、とても意外で思いもよらなかったことでしたので、つらかったのです。なかでも、こんなにひどい袴や装束の姿で見られたことこそ、言いようもなくつらいことでした。亡き母上がいらっしゃったなら、こんなつらい目をみることはないでしょうに。」といって、ひどくお泣きになられる。あこぎは、「たしかにそう思われるでしょうが、少将さまも、継母北の方の意地の悪さはご存じですから、そうはお思いにならないと思います。ただ、お心だけでも頼りにできれば、どんなにうれしいことでしょう。」「それこそ考えられないことです。こんな普通ではない人(私)を見て、好きになられる人があるでしょうか。このことを北の方がお知りになったら、どんな風におっしゃるでしょうか。『私の命令しない人の縫物などをしたら、この邸にはおかない」といつもおっしゃっているのに。」と、ひどくつらそうなので、あこぎは、「それならは、かえってここを出られるのがよろしゅうございます。このように言われることがどこの世界にあるでしょう。北の方は、姫君をこのように閉じ込めて使ってやろうという考えなのでしょう。」と、大人びた口調で言っている。「はやくお手紙をご覧ください。今はお嘆きになってもしかたがありません。」と言って、お手紙を拡げて差し上げると、姫君は横になったままご覧になる。そこにはただ、次のように書いてあった。いかなれや 昔思ひしほどよりは今の間思ふことのまさるは(なぜでしょう、逢う前にあなたを想っていた気持ちよりも、逢ってしまった今の方が、あなたへの想いが強くなってしまいました)姫はとても具合が悪いと言って、ご返事がないので、あこぎは「いやもう、気に入りません。このお手紙は何ですか。昨夜の少将様のお心も、限りなく不本意で気に入りません。今後のことも頼みになるようには思えません。姫君はたいそう苦しそうで、まだお起きにもなれませんので、お返事もおできになりません。とても心苦しいことです、姫君のご様子を拝見するのは・・・」と書いた。帯刀は、少将にこのことを伝えたが、「私のことを不愉快だと思われてのことではないだろう。ただ、あの装束をひどく恥ずかしいとお思いになられた名残りなのであろう。」と、気の毒に思われた。そして、昼間にまたお手紙を書かれた。「なぜでしょう。今あなたの冷たいご様子を思い出しているのに、とても愛しさが募っております。」恋しくも 思ほゆるかな ささがに(蜘蛛)のいととけずのみ 見ゆるけしきを(あなたが恋しくて仕方がありません。あなたは蜘蛛の糸のように、気持ちを解いてくださらないように見えるのに)道理に合わないことです。」とある。帯刀からは、「今度もお返事がないのは、とても具合が悪いことと思います。少将さまは、ひたすら姫君のことをお思いです。お心は信頼できるように見えます。ご自身もそうおっしゃいます。」と書いてあった。あこぎは、「今度ばかりはお返事をなさいませ」とすすめたが、姫は「少将様は、みすぼらしい私の姿をご覧になって、今頃どのように思い出していらっしゃるのかしら。」と考えてしまって、恥ずかしく、気が引けて、とても返事を書く気になれません。頭から衣をかぶって、臥せってしまいました。その姿を見て、それ以上あこぎは何も言えなくなってしまいました。仕方なく帯刀に、「お手紙は見ていただけたのだけど、あまりに苦しそうなご様子で、お返事はいただけません。あなたは少将様のお心がずっと続くとおっしゃるけれど、どうしてそんなことがわかるの? しばらくしたら、『あれは一時の恋だった」なんて言い出されるかもしれないではないですか。こちらを安心させようと思って、適当にいいことばかり言っているのではないですか」帯刀は、あこぎの返事をそのまま少将に見せました。「お前の妻は、とても気の利いたことをいう女のようだね。姫君がとても恥ずかしがっておられるので、お前の妻は逆上しているのだろう。」と、微笑んでおっしゃられた。すごいですねー、少将さん。これだけつれなくされても、不快に思ったり、あきらめたりしません。かえって、愛情が増していっているようです。あこぎの実際の活躍ぶりを書くつもりだったのに、まだその部分までいきつかないようです。この場面では、あこぎが間に入り、お手紙でご様子を知らせることで、少将の姫への気持ちがつのっていく場面だったようです。では、続きをまたお楽しみに。