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弁護士YA日記

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日出町法律事務所
2019年6月より1年間、日本弁護士連合会客員研究員としてイリノイ大学アーバナシャンペーン校に留学後、弁護士業務を再開しました。
弁護士葦名ゆき(あしな・ゆき)
2012.12.19
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カテゴリ:東日本大震災
先の衆院選の結果にはいろいろな意味で心底驚愕した。
「驚愕」の中身、少しずつでも確実に言葉にしてきたいと思う。言葉にしないままだと、いつの間にか流されてしまう。流されてしまうと、とてつもなく大変なことになるぞ、と本能がチカチカ点滅している感じがするのだ。

でも、いろいろな思考がぐるぐる頭をめぐっていて、まだ整理しきれていないので、先日、ふと思い出した懐かしい思い出に言葉の網をかけておこう。

先日、仕事の関係で、私にしては、結構な長時間(といっても往復2時間程度ですが)、運転をしなければならない機会があった。

実は、私は、車の運転はとても苦手で、ドライブを楽しむ余裕はまったくなく、緊張して肩が凝ってしまう。自分一人でも緊張するのに、同乗者がいるときはなおさらだ。お願いだから話しかけないで、気が散るから!という緊迫感を漂わせているので、多分同乗者も楽しめていないだろう。

今回も、無事に事務所にたどり着いて、ほおっとため息をついてしまうくらい疲れたのだけど、あ、でも、私にだって運転しても疲れない道もあったけ!とふと思いだした。

その道とは、相馬市と福島市と結ぶ国道115号線!
片側一車線しかなくて、くねくねしている山道で、夜は灯りがほとんどなくて暗くなる。
冬には、凍ってしまうので、スタッドレスタイヤ必須。
道の真ん中に、お猿さんがひなたぼっこしていることもあるし、イノシシが急に横切ることもあった。

・・・うふふ、客観的にはまったく運転しやすい道ではありませんよね?

でも、この115号線、相馬市から福島市に出る最短経路だったので、利用しないという選択肢がなかった。事務所は相馬市にあっても、刑事記録の閲覧、鑑別所や拘置所への接見、その他福島市管轄の事件、弁護士会のイベント等で、福島市に出なければならない機会は、平均すると週に一度くらいはあったのではないか。重い少年事件を受けていたときは、接見のために、3日に挙げず通ったような気もする。

これだけ何度も通ると、当初、あまりの大変な道に泣いていた私も(相馬赴任時、文字通り、免許取り立てでした!)、道のカーブの特性、スピードを出しても良い場所、後ろから煽られた時に脇にどくスポットのすべてを頭でというより身体で覚えてしまう。

片道1時間のちょうど半分位の場所には、それはそれは美味しいアイスクリーム屋さんがあって、「あ、今日はちょっと時間ある!アイス食べていこうっと!」って思ったときの幸せ感は忘れ難い。事務局さんにお土産に買って帰って、わいわい大騒ぎしながら食べることもあったっけ。

あの当時は、仕事量がとにかく多かったのだけど、115号線をドライブしている時間は、頭が空っぽになる感じがして、良い気分転換にもなっていた。

引き継ぎ時期には、後任の渡辺淑彦弁護士(以下、渡辺さん)と、記者会見やら、期日の引き継ぎやら、送別会&歓迎会やらで、何度もこの道を往復した。
普段は引き継ぎ事件で、今から考えると空恐ろしい程の過密スケジュールをこなしていたのだけど、このドライブ時間は、おしゃべり花盛りで、楽しくて仕方なかった。
個々の仕事のこと、これからの弁護士のあり方のこと、そんな真面目な話題も沢山あったけど、なんだかくだらない話も随分したなあ、ずっと笑っていた気がする。

そうそう、私の車のCDプレイヤーは、引き継ぎ時期に故障して、CDが取り出せなくなっていた。そこで、その当時入っていたさだまさしさんのベストアルバムを、必然的に、何百回と聴くことになってしまい、二人ともこのベストアルバムに入っていた約10曲くらいは、そらで歌える位、身体に染みこんでいたような気がする。

渡辺さんは、涙もろくて、東京地裁の裁判長が説諭に使ったという名曲、「償い」を聴く度に、「駄目だ、葦名さん、俺、また泣けちゃう」とか言って毎回泣いているんですね。ちなみに私は、「風に向かって立つライオン」が好きでした。


空を切り裂いて落下する滝のように 僕はよどみない生命(いのち)を生きたい
キリマンジャロの白い雪 それを支える紺碧の空 僕は風に向かって立つライオンでありたい


・・・素敵な歌詞ですよね。風に向かって立つライオン、今でもそうありたいと思っている自分がいます。

115号線は、3.11後も、相馬時代の頻度には到底及びませんが、何度か往復しました。
身体が道を覚えていたから、相変わらず運転していても疲れなかったけど、あんなに悲しい気持ちで運転する日が来るとは夢にも思いませんでした。

もう一度、私の大好きな115号線を明るく楽しい気持ちで運転したいなあってすごく思います。

ヴィクトール.E.フランクル(「夜と霧 新版」、2002年、株式会社みすず書房)の言葉を、しみじみと思い出す。

「あなたが「経験したことは、この世のどんな力も奪えない」
わたしたちが過去の充実した生活のなか、豊かな経験の中で実現し、心の宝物としていることは、なにもだれも奪えないのだ。


今、とてもとても悲しい想いをされている方々の心に、どんな力も奪えない宝物が蓄えられていることを切に願う夜でした。












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Last updated  2012.12.19 21:43:01
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