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カテゴリ:東日本大震災
先日、家族で焼津に行く機会があり、帰りに、焼津さかなセンターという、魚市場兼お土産屋さん兼食堂、のような、要は、お魚に特化した総合ショッピングセンターのような場所に立ち寄った。
ちょうどお昼時、センターの一角にある食堂に入ったのですが、そこで食べた甘鯛の焼き魚定食のなんとまあ美味しかったこと! この世に焼き立ての熱々の焼き魚より美味しいものがあるのか、と思う位、焼き魚好きの私にとって、至福の時間でした。 塩加減も絶妙なのですが、やっぱり鮮度でしょう。 心の中では、きゃー美味しい、と叫んでいるのですが、実際には、夢中すぎて無言。だって、お魚はあちこち食べるところがあって大忙しなんですもん。 それにしても、こんなに美味しい甘鯛がどうして、近所のスーパーには並んでいないのだろう。全国的な傾向だと思うが、スーパーに並ぶ魚といえば、鮭、鯵、鯖・・・位?世の中にはもっと沢山の種類の魚があるのに、どうして超特定の種類しか並ばないんだろう。 消費者が買わないから? え、でも、ここまで種類がないと買う気が起きないだけですよー。 これがお魚離れということになってしまうのですか? 釈然としない私です。 大満足でお店を出た後は、魚市場的な一角をウロウロ。 しらす味見していってよー、今日は3パック1000円にしちゃうよー、等の賑やかなかけ声に包まれながら、色々なお魚を見て歩くのは、とても楽しい。 キラキラの刀のような太刀魚、金色の大きな目と赤い鱗の対比が鮮やかな金目鯛に見惚れていて、ふと気付く。 あれ、このお店の名前、さっきの食堂と一緒! 「食堂もあります」という小さな張り紙を見つけて納得、鮮魚店も食堂も経営しているお店なんだ。 ふと、一緒にいた夫に「みはらしと一緒だね」と話しかける。 訝しげな夫に「ほら、相馬のみはらし!」と繰り返しながら、心が一気に相馬に飛んだ。本当に一気に、時空を超えて。 みはらし、は、相馬市にある旅館だが、食事処は、宿泊客でなくても利用できた。魚市場の一角には直営の鮮魚店もあった。 以前、知人をおもてなしした時に、鮮魚店で購入した大きなアワビを食事処に持ち込んで、お刺身にして頂いたことがあったっけ。 コリコリとした歯ざわり、濃厚な肝がうっとりするほど美味しかったなあ。 私は、みはらしのお料理が大好きで大好きで、相馬を離れる最後の夜も、みはらしでご飯を食べたんだ。 鮮度の良いのは勿論、キンキの煮付けの味付けとか、青海苔の天ぷらのカラッとした揚げ具合とか、すべてがさすがプロという味で、あんなに美味しいお料理は、今でも食べたことがないなあ。 ・・・後から後から心と舌に焼き付いた美味しい思い出が蘇る。 みはらしについては、以前も書いたことがある。 http://plaza.rakuten.co.jp/yyy0801/diary/201105220000/ ここに書いたとおり、鮮魚の直売所も旅館も津波で流されてしまって、追い打ちをかけるように原発事故も起きてしまって、でも、あれから3年経って、今、皆さん、どうしていらっしゃるのだろう。 突然、自分の3年間と、みはらしの方々が歩んできた3年間の余りの距離感に、足元の地面がグラグラと大きく揺れるような情けなさを感じた。 私は、一体何をしているのかな。 この3年間、私は何をしてきたのかな。 私に、こんなにも沢山の美味しく楽しい思い出を与えて下さったみはらしの方々が味わってこられた艱難辛苦、何も情報がなくても、想像するだけで、心が痛すぎた。 みはらしの痛み、相馬の痛み、浜通りの痛み。 3年間で癒されるどころか、いや増しただろう痛みのこと、私はどこまで我が痛みと考えていただろうか。 自分が情けなかった。 でも、この情けなさは、書き留めておかないといけないと思いました。 もっともっともっと頑張らないと。 書くだけじゃなくて行動に移さなくては、なのですが、でも、まずは書きます。 私はもっともっともっと頑張ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.03.23 21:59:01
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