言葉にすることで整理できた、という気持ちになることもあれば、言葉にしたことで、言葉にならないもやもやが分かってきたということもある。
どちらにしても、言葉にすることは私にとって、とても大切なことです。
浪江町調査で、人の気配に安堵したこと、帰りたくてたまらなかった方が帰ることができたこと、本当に良かったと心から思っています。この気持ちは、心から湧き出てきた想いだから、消えることは絶対にないでしょう。本当に良かったと思っています。
でも、静岡の街に戻って、秋晴れの中をニコニコとおしゃべりしながら歩く笑顔の親子とか、雨が降ると途端に渋滞する沢山の車の列等を目にすると、お孫さんの写真を愛おしそうに眺める眼差し、草が生い茂る荒れ果てた田んぼ、人家の灯りがないために街灯の配列がくっきり分かる前の車のテールライトも後ろの車からのヘッドライトも感じない暗い夜道・・・が心に浮かんできてしまい、泣いている自分に気付きます。
お話をお伺いした帰還者の方々は、ほとんど愚痴を仰らなかった。
買い物だって、原町まで車で30分も運転すれば行けるしね。
身体はどこも健康だもの、すぐに困ることはないよね。
皆が戻ってきてくれたらそりゃ嬉しいけど、それぞれの事情があるもの。
・・・強がりでもなんでもなく、本当のお気持ちだと思います。
でも、「そうか、よかったよかった」ではないと思うんです。
言葉にならないことから想像する力は自分の仕事にとって不可欠な力だと思っているけれど、その力を磨くことをずっと心がけてきたつもりだけど、いたたまれない切なさを感じる自分がいます。
それでも、自分とは比べものにならない苦しみ悲しみの中で、前を見据えて生きる人たちのことを考えると、自分が苦しんでいる場合ではないということは、分かっています。
今日も目の前のことをコツコツ頑張っていきたいと思います。
日常をきちんと積み上げていくことで切なさを乗り越えて、自分の成長のためにも自分が守りたい誰かのためにも頑張っていこうと思います。