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バス停地名学のすすめ

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2007.05.28
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カテゴリ:板橋区
(前回からのつづき)

ちょうどバス停から歩いてきた場所には、かつてこの場所に架かっていた橋の姿が緑道のモニュメントとして残され、西前橋の名も確認できる他、ここからさらに上流方向に歩いていくと、金井窪橋、前田橋、他領橋、御嶽橋、高松橋、長崎橋、霜田橋、八幡橋、羽黒橋など、橋名のプレートがあたかも失われた地名の墓標でもあるかのように続いています。因みに、金井の地名には鉄錆びを含んだ湧水を指すとする説があるそうですが、谷端川沿いにそのような湧水があったことが、金井窪の地名由来となっているのかもしれません。

西前橋跡から山手通りに並行して北上する道筋は、高田雑司が谷道と称した古道であり、北へ向かえば中山道仲宿へ、南は現在の池袋駅付近から雑司が谷、高田方面へと通じていました。この通りを北へ歩くと、すぐに東上線の踏切ですが、その左手が金井窪駅の跡地にあたります。駅舎は高田雑司が谷道に面して建っていたようで、その跡地は今も線路脇の空地として残っています。

踏切を越えると、少し先の左手に樹々の茂る子易神社があります。社殿へ続く緩くカーブした石段のアプローチが、落ち着いた佇まいを演出しています。旧金井窪村の鎮守であり、かつては「子安」と書いたことから、安産や子育ての神様として信仰を集めたといいます。

子易神社の裏手から山手通りの反対側へと歩いていくと、やがて人通りの多い遊座大山商店街に出ます。この商店街は旧川越街道の道筋にあたり、中山道板橋宿入口の平尾追分から大山を経て、上板橋へと通じていました。大山駅前後は板橋区内でも屈指の大商店街となっていますが、旧川越街道の商店街化は、戦後の混乱期にスタートしたものといいます。踏切待ちの人混みと自転車の列に行く手を阻まれると、もう大山駅が目の前に迫っています。

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最終更新日  2007.05.28 22:15:04
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