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バス停地名学のすすめ

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2007.06.18
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カテゴリ:中央区
バス停データ
◆所在地:中央区 ◆路線:都営バス[東12]系統他

みなさん、こんにちは。

東京駅八重洲口から大丸百貨店を背に、八重洲通りを東へ向かうバスが最初に停まるバス停が、通り3丁目です。「通り」とは何通りを指すかといえば、それは八重洲通りではなく、東海道を指しています。バス停のある交差点で八重洲通りを南北に横切る中央通り(国道15号)が旧東海道の道筋であり、北へ歩けば日本橋、南へ歩けば京橋へと続いています。

地名としては「り」の送り仮名は不要のようで、江戸開府から間もない慶長8年(1603)に、江戸の商業地のパイオニアとして、通1~4丁目が起立しました。東海道の起点日本橋から続く街道沿いの細長い町域で、江戸から明治、大正、昭和への時代変遷の中で、常に首都を代表するメインストリートとしての顔を持ち続けてきた場所でもあります。町名としては昭和48年の住居表示施行時に消滅しましたが、江戸東京の原点ともいえるこの場所で、都営バスが頑なに通り3丁目のバス停名を残していることは、意義のあることと思えてきます。

文久3年(1862)の「日本橋南之絵図」を見ると、通3丁目の裏側、すなわち東海道から一歩裏へ入った町家には、数奇屋町、檜物町、箔屋町などといった、職人町を示す町名がいくつも並んでいます。そうした当時の街並みを想像しながら、旧東海道筋の中央通りを歩いてみました。

(次回へつづく)

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最終更新日  2007.06.18 22:33:09
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