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バス停地名学のすすめ

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2007.07.04
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カテゴリ:荒川区
(前回からのつづき)

都電の終点として知られる三ノ輪橋には、どことなく古き良き時代の下町の賑わいが残されていて、私のような散歩者には自然と足が向く街並みのひとつでもあります。ひっきりなしに折り返していく都電の様子を眺めているだけでも、面白いですね。(つい最近、大正時代の「東京市電」をイメージした新型車両が走り始め、三ノ輪橋電停もレトロ風に改装されました)

三ノ輪橋は、かつて石神井川から分流した音無川が日光街道を横切る場所に架けられていた橋ですが、現在はその痕跡も皆無です。音無川の流路も暗渠となって久しいですが、末流にあたる日本堤から先の山谷堀は、第41・42回「吉原大門」の項でご紹介した通り、現在も山谷堀公園としてその跡地が整備されています。

日光街道を渡り台東区へ入ると、左手奥に浄閑寺があります。現在の台東区千束4丁目を中心とした新吉原遊郭から500メートルほどの距離にあるこの寺は、身寄りのない遊女らが多数埋葬され、安政の大地震では遊女の遺体が投げ込まれるようにして葬られたことなどから、投込寺の異名で呼ばれてきました。「生まれては苦界/死しては浄閑寺」と、花又花酔の川柳でも知られる他、遊女らの生活に深く関わり続けた永井荷風も幾度か足を運び、自らの墓をここに建てよと、日記にまで記していたといいます。現在は昭和38年建立の荷風詩碑と筆塚を見ることができます。

浄閑寺前から南東方向に伸びる細い裏通りが、音無川の流路跡です。道は日本堤を経て、吉原大門、山谷堀へと通じています。

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最終更新日  2007.07.04 11:04:52
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