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バス停地名学のすすめ

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2008.03.01
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カテゴリ:西東京市
(前回からのつづき)

深大寺道の道筋は、練馬、板橋方面からの大山街道の一部ともなっていたようで、西武線の線路へ向けて歩いていくと、踏切を渡った先で富士街道にぶつかりますが、そこには道標を兼ねた寛政7年(1795)建立の六角地蔵像が残されています。

六角地蔵前から富士街道を練馬方向に歩くと、西武柳沢駅北口の商店街です。バスロータリーのあった南口と違い、北口側は富士街道に沿った昔ながらの住宅密集地で、同じ駅前でも南北で街の表情が全く異なることがわかります。

再度青梅街道に戻り、今度は深大寺道を南へ歩いてみると、すぐに石神井川の境橋に出ます。この道筋が旧保谷市と田無市の境界線でしたが、橋名はそれに因むのでしょうか。この先、道が延々と深大寺まで続いていたかと思うと、もう少し歩いてみたくなりますが、バス停から離れるばかりなので、深大寺道探索は別の機会に譲ることとしましょう。

さて、柳沢駅方向側のバス停のすぐ脇には小さな社が建っていますが、その横から細い道を住宅地へ入っていくと、その先に西武線の築堤をくぐる小さなガードがあります。私が前回、ガード下の別の意味と記したのは、実はこの小ガードのことです。第9回「北裏」の項で、この近くにあった中島飛行機武蔵野工場について触れましたが、それに通じていた戦時中の専用鉄道がこのガードをくぐっていたということを、以前ある文献で目にしていました。もしこのガードが青梅街道のガードよりも古いものであるとしたら、バス停の指すガード、すなわちこの周辺で俗にガードと呼ばれてきたのは、この小ガードのことかもしれないというのは、考えすぎでしょうか。

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最終更新日  2008.03.01 22:56:13
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